販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
スイス『サプライズ』販売者 レネー・ゼン
妻と出会い、大地震を経験したメキシコの6年
“人生の忘れられない時間”、エッセイでお客さんと共有
ネー・ゼン(69歳)は2003年12月からスイス・チューリッヒのエンゲ駅とヴィーディコン駅で『サプライズ』誌を販売している。昨年は著名作家が講師を務めたライティング・ワークショップでエッセイを書き、〝人生の忘れられない時間〟を思い出したという。
それは81~86年にかけてメキシコに住んでいた時のこと。若かりし頃の自身について、ゼンは「みんなに見捨てられて独りぼっちの状態だった」と明かす。「そうして決めたのは、行き当たりばったりな自分の性格を強みにして世界を旅することでした」
「半年間米国を旅した後、メキシコに着いた時は飢え死に寸前の状態でした。手元に残っていたのはたった400ドル。大切にしていたカメラを売ってお金に換えました。仕事を紹介してもらおうと思い大使館にも行きましたが、彼らは私に帰国する旅費をくれようとした。でもそれは私が望んでいることではなかったので、自分で何とかすることに決め、家庭教師としてドイツ語と英語を教え始めました」
「首都メキシコシティでは移動距離が2時間ということもざらで、家庭教師はあまり実入りのいい仕事とは言えなかったのですが、幸運にも私はその時、教え子の一人で後に妻となる女性と知り合ったんです」
他にも時々映画の端役の仕事をもらうなどしていたが、「それでも生きていくにはぎりぎりだった」と言う。「住んでいたシェアハウスで、一度遠出をして戻ってきた時に持ち物がすべてなくなっていたなんてこともありました」
当時、街中には近隣国のエルサルバドルやホンジュラスから来た避難民が多くいて、彼らの必死に生きる姿も記憶に残っている。
「その後、妻とともに小さなアパートに引っ越しましたが、85年にはメキシコ地震が起こりました。私たちは3階に住んでいて、下へ降りることができなかったのが逆に幸いしたようで無事でした。(外に逃げた人たちは)高い建物が崩壊してきたり、火事に巻き込まれたりなどして、ひどいものでした。がれきの中に人の手足が転がっていたのを覚えています」
二人でスイスに帰国したのは86年のことだ。それから夫婦ともにこの地で働き、貯金をしては時折メキシコにいる高齢の母や親戚を訪ねた。しかし「今もらえる年金は本当に微々たるもので、生活は大変です」とゼン。
メキシコの思い出について綴ったエッセイ「海の向こう」が雑誌に掲載されると、常連客の女性が「私も同じ頃にメキシコにいて、大地震を経験した」と言いに来てくれた。「こうして共通点が見つかり、お客さんとつながれるのがうれしいんです。だから私は、まだまだ販売者をやめたくはありません」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている BIG ISSUE
403 号(2021/03/15発売) SOLD OUT
特集思い込みと偏りー認知バイアス
特集:思い込みと偏りー認知バイアス
スペシャルインタビュー:デイヴ・グロール(フー・ファイターズ)
リレーインタビュー 私の分岐点:松田青子さん