販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

『リツェウリツェ』販売者 ボヤン・コパニッチ

一時帰国のつもりが、コロナで足止めに。
販売者仲間に「僕らは一人じゃない」と言いたい

『リツェウリツェ』販売者 ボヤン・コパニッチ

ボヤン・コパニッチがセルビアのストリート誌『リツェウリツェ』の販売を始めたのは今年1月のこと。「今のところ順調だよ。お客さんもみんな優しい。雑誌を買いに来てくださる時にお話するのが楽しみだね」
 首都ベオグラード郊外のブラチャル地区に生まれたコパニッチは、ほどなくして家族とともに隣接するクモドラシュに引っ越し、そこで小学校を卒業した。中学卒業後は、工場の旋盤操作員になるための訓練を受けたという。
 しかし1990年代、セルビアはユーゴスラビア内戦の真っただ中。旧ユーゴは「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」とも言われ、6共和国の一つがセルビアだった。
「90年代にセルビアで10代を過ごすというのは、なかなか大変なことだったね。生きのびるのに必死だったし、ロールモデルとなる人を見つけるのも難しかった。と言っても、今も当時とそれほど変わっていないのかもしれない。財政的には少しマシになったのかもしれないけれど、テレビや新聞で報じられていることは当時よりひどくなっているんじゃないかって思う時さえあるよ」
 内戦ののち、コパニッチの人生にはさまざまな苦難が降りかかり、どうしようもない状態だったという。新天地を求めてドイツに渡ったのは約10年前のことだ。「ドイツでは生きるためにどんな仕事もやった。引っ越し業にペンキ塗り……。あらゆる肉体労働をね」
 だが、昨年7月、セルビアに一時的に戻ってきたつもりが、コロナのせいでドイツ・ミュンヘンの家に帰ることができなくなってしまった。「こちらでも生活費がいるからね。セルビアに帰ってきてからは、いとこと内装業に携わったりしていたよ」。同時に、ドイツに戻るまでの間、『リツェウリツェ』の販売者として働くことになった。
「物事は良くも悪くも動いていくもの。どうすることもできない時もあるけれど、闘わないといけない。娘がクロアチアに住んでいるんだけど、彼女の存在が前へと進むエネルギーをくれるんだ」
『リツェウリツェ』の販売を始めて、早くも9ヵ月が過ぎた。コパニッチは言う。「自分がどんなにつらくてもいつも思うのは、僕よりも大変な思いをしている人、僕よりも大きな問題を抱えている人がたくさんさんいるだろう、ということ。ともに助け合えるこういう場があるというのは、ありがたいことだと思う」
「販売者仲間には、闘いは続くけど『僕らは一人じゃない』って言いたいね。そんなこと、みんな百も承知だろうけど。今はただ、雑誌を買ってくださっているお客さんへの感謝の気持ちでいっぱいだよ」

Text:Milica Terzić, Liceulice

1冊の値段/200セルビア・ディナール、
そのうち半分が販売者の収入に
発行頻度/月刊
販売場所/ベオグラードほか

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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