販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
セルビア『リツェウリツェ』販売者 アニカ・レクポ
アパートで暮らした、人生最良の日々
雑誌は、施設で暮らしたくない私の命綱
知人から『リツェウリツェ』のことを聞いて販売者として働き始めたのは、ちょうど新型コロナウイルスによるパンデミックが起こる直前でした。販売を始めたところで、残念ながら中止せざるをえませんでした。行くあてもなく、紹介された施設でひとり寂しく1年あまり過ごしましたが、まるで牢獄にいるようでした。
隔離が解かれた日は雨でしたが、いつでもどこへでも足を運べるという幸福感に包まれていましたね。1年あまりも施設に閉じ込められていたので、外の世界に出た時には慣れるのに時間がかかりました。
コロナ禍での隔離生活によって、ベオグラード郊外にある発達障害の子どもたちのための施設で過ごした日々を思い起こしました。そこにいる時も外に出ることが許されなかったんです。1995年のある水曜日に施設へ到着したのですが、ひどく雪が降っていたことを今でもよく覚えています。
私はセルビア北西部にある小さな町で生まれました。小学1年生までしか修了することができず、特別支援学級で学びました。父とは折り合いが悪かったため、母の死後はセルビア東部のネゴティンにある施設に入りました。7歳で家を離れないといけないのはつらかったですね。
初等教育を終えて、美容師になる専門学校に通い始めましたが中途退学しました。そしてソレムツィツァという町にある施設に移送され、ネゴティンにとどまったきょうだいとのコンタクトが断たれました。ですが、偶然にもSNSで一人の姉妹を見つけることができて、今でも定期的に連絡を取っています。
数年前には支援プログラムの助けを得て、アパートで暮らしたこともあります。そこで私は、料理を学び、洗濯もし、街へと繰り出しました。いつ帰ってきてもいいし、友人たちを家に招いてもいい。人生最良の日々でした。素晴らしいプログラムでしたが、悲しいことにそんな日々は終わりました。ソーシャルワーカーに促されるまま、また施設での暮らしに戻らなければならなくなったのです。
ですから、『リツェウリツェ』の助けは私にとってはとても意味があるんです。施設で極力時間を過ごしたくない私にとっての、命綱と言ってもいいでしょう。同誌の主宰する英語クラスや人権セミナーにも通っています。
そこで私が学んだ最も大切なことは、自らのために声を上げ、権利のために闘うことです。障害者は人々から蔑ろにされることもありますが、私のように障害のある人たちが声を上げ、その声がみんなに聴かれるようになってほしいです。
今は、施設を出てベオグラードでアパートを借りたいと思っています。ある朝、自分のアパートで目を覚ますことができるなら、なんて素敵でしょう。夢は叶うと信じているんです。
Text:Milica Terzić, Liceulice/INSP
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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