販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
『ビッグイシュー オーストラリア』販売者ブルーイ
無差別殺傷事件に巻き込まれ、PTSDに苦しむ 販売は正直きついが、人生は100%よくなった
ブルーイは、長い間PTSDに悩まされ、自殺を図ったこともある。薬物に救いを求めたが、結局は仕事を失ってホームレスになった。ビッグイシューの販売を機に、再び社会とのかかわりを取り戻しつつある。
「2年前、60歳になった頃、薬物乱用で死ぬよりは、何かましなことをしようと決めたんです。私は当時、本当にどん底で、坂道を転がり落ちるばかりでした。だから、自分に何ができるかと考えた時、たった一つ思いついたのが、ビッグイシューを売ることでした。それが結果的に、私にぴったりな仕事でした」
ブルーイは20世紀の半ば、緑豊かなアデレードで大家族に生まれた。中流階級に育ち、高等教育も修了したという彼は、オーストラリアや海外で営業、広告、サービス業の職に就いた。70年代にはベルリンに5年間住んだこともあるそうだ。
そんなブルーイの人生は、27歳のある日、一変する。無差別殺傷事件に巻き込まれ、大けがを負ったのだ。
「犯人たちは他に二人の命を奪いました。二人とも、まだ10代の若者だったのに。そこから私の転落が始まりました。PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されたのは、ずっと後になってからです。当時、PTSDはまだ正式な病名と認められていなかったんです。あの事件は私の性格を変えてしまいました。私は自分なりの治療法と称して、人と交わらなくなっていったのです」
そして、毎日膨大な量のさまざまな薬を飲むようになる。事件前には優秀な働き手だったが、その後は半端仕事を転々と変わった末に、孤立無援の境遇になってしまった。けれど、ビッグイシューが社会とのつながりをいくらか修復してくれたと彼は言う。「ビッグイシュー オーストラリア」が本部を置く国際色豊かなメルボルンの中心地、エリザベス通りとバーク通りの角が彼の持ち場だ。
「正直に言うと、ビッグイシューの販売は、ある意味でとてもきつい仕事です。でも、ビッグイシューを売っている時は薬物をやらない。生活費に困ることはなく、住む場所の心配もない。ポケットに何もないよりは、20ドル札が何枚か入っている方がいい。そうすれば新聞を読んだり、コーヒーを飲んだり、いろんなことができますから」
「経済的に恵まれないことや、社会の片隅に取り残されることで一番問題なのは、自分のことを自分で決められないことです。そして当然のことながら、そのためにさらなる疎外が生まれ、自尊心が極めて低い状態に置かれます。どん底の暮らしをしていたら、たとえきれいな星を見上げていても、どん底にいることに変わりはない。再び自分の足で立つための唯一の方法は、安定した住居だと思います。それで初めて、人生の決定権を取り戻すことができる。私は一心不乱に、あきらめず努力したので何とかその壁を乗り越えることができましたが、誰もがそうできるとは限りません。私がかつて寝ていたのは樹木の下。今は幸運なことに、住宅供給公団のアパートに住んでいます」
販売で少し余裕ができた時には、楽しみごとにお金を使えるようにもなった。
「映画を観たり読書をしたり、展覧会を見に行ったり。ディナーパーティも好きです。ありふれた趣味ですが。ビッグイシューの販売を始めて、私の人生は100%よくなりました。雑誌を買ってくれる人たちに、ぜひそのことを伝えたい。大きな変化をもたらしてくれたんです」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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