販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
オーストリア・ウィーン『アウグスティーン』誌販売者 フランシス・ディメ
母国ナイジェリアで大学講師になるのが夢だった。 今、大学院で社会学を学ぶ
オーストリアには今、地域ごとに7つの独自のストリート・ペーパーが存在する。その中の一つ、首都ウィーンを拠点に活動する『アウグスティーン』は、雑誌の発行だけでなく自前のコミュニティ・ラジオ局やコミュニティ・テレビ局をもち、活発な情報発信を行っているのが特徴だ。
鉄道や地下鉄、路面電車が乗り入れるにぎやかなプラターシュテルン駅で『アウグスティーン』誌を販売しているフランシスは、もともと母国のナイジェリアで大学講師になるのが夢だった。オーストリアに到着後、食べるためにストリート誌『アウグスティーン』を売りはじめた。ウィーン大学の大学院で社会学を学び2年目の今も、学業の許すかぎり雑誌の販売を続けている。
「社会学の修士コースに入って2年目になります。クラスには私の他にもう一人黒人の女子学生がいて、彼女はタンザニア出身です。私が大学を卒業したのは母国のナイジェリアで、家族は今もナイジェリアにいます。大学講師になるのが夢でしたが、事情があって国を出ざるをえなくなりました。それで、2010年にヨーロッパにやって来ました」
それまではオーストリアという国があることさえ知らなかったというフランシス。大変な思いをしたが、この国に来たのはいい決断だったと振り返る。
「ナイジェリアを恋しいとは思いませんが、息子に会えないのがつらいです。この4月に15歳になりましたが、もう何年も会っていません。難民申請が認められたら、息子に会いたいです」
『アウグスティーン』を売り始めたのは4年前。友人が教えてくれて、販売者登録ができるよう事務所に連れていってくれたそうだ。
「最初は自分につとまるとは思えませんでした。ずっと立ちっぱなしの仕事ですし。でも、稼いで食べていかなければなりませんでしたから。がんばって慣れました」
最初の2ヵ月は、ウィーン駅の西側のオッタクリング地区に立っていたが、人通りが少なく、うまくいかなかった。販売者仲間の提案でプラターシュテルン駅に販売場所を移ってから軌道に乗り始めた。
「ここでの販売はとても気に入っています。お客さんたちはいつもとても親切で、この何年かで仲良くなった人もいます。みなさんに神のご加護がありますように! 学業の妨げにならないかぎり月曜から金曜まで販売していますが、これまでいやな目にあったことがありません。たった一度も」
「仕事も授業もない時は、たいていは家で過ごします。私はインドアタイプなんです。オーストリアに来た最初の1年は、 グライフェンシュタインにある難民申請者の収容センターにいました。ドナウ川をのぞむ、とてもきれいなところでした」
そんな彼女の趣味は音楽を聴くこと。ヒップホップやクリスチャンミュージックを、自分の部屋で、ひとりっきりで聴くのが好きだと言う。「後は教会に行ったり本を読んだり。読書はもっぱら大学院での研究のためです。他のものを読む時間はありません」
「何年も前、ナイジェリアで大学生だった頃は、何もかも手作業でした。今では、あらゆることがコンピュータ経由です。授業の登録も、試験も、教授の指導だってオンラインで行われるんですよ。最初はなかなか慣れませんでした。それから、白人の先生たちのアクセントに慣れるのも大変でした。ナイジェリア人が話す英語とは全然違うんです。なので、ちゃんと理解するには集中しなければなりません」
「修士号が取れたら、次は博士号に挑戦したいです。その後、教える仕事につけたらいいですね」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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