販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
中西仁志さん
地震から4日間は炊き出しに応援参加。 ビッグイシューを売っていたら自然と笑顔がこぼれ、心が洗われていく感じ
熊本県唯一のデパート「鶴屋百貨店」から北に延びる上通商店街入り口で、180センチの長身が一際目を引く。一昨年の1月に販売者となった中西仁志さん(56歳)だ。朝10時半から夕方6時まで、天候が悪い日以外は休まず立っている。「上通は中高年、南側の下通は若者が多く、ここは人が一番集まる場所」だというが、月400冊を超えた売り上げは4月の地震直後、250冊まで落ち込んだ。
「地震の日は自宅アパートにいました。本震では洗濯機や冷蔵庫が倒れ、高いところに置いていたレンジは落ちて壊れました。それから4日間は熊本市内の市立総合体育館や池田小学校などの避難所で『でんでん虫の会』の仲間と、おむすびや味噌汁の炊き出しをしました」
「でんでん虫の会」とは独り暮らしの障害者や高齢者が集まって、おしゃべりすることで支え合う活動をしているNPOで、毎週水曜日の集いを中西さんも楽しみにしている。
「避難生活を送る益城町や御船町、大津町の方々はとても買いに来られる状況じゃない。それでも70~80人の常連さんや県外からのボランティア、旅行者が買ってくださって、300冊近くまで持ち直しました。県外の方は『こんなところでビッグイシューを売ってる! 買わずにはいられない』という感じで、駆け寄ってくるのですぐわかります」
286号の「マイオピニオン」欄に投稿を寄せた福岡市の男性のように、販売されていない九州各県から定期的に買いに来る人もいる。「そこの現代美術館で私の絵を展示しているから見に来て」と常連さんから誘われることもあれば、転勤の挨拶と共に「いつも素敵な笑顔をありがとう」などと綴られたメッセージカードを贈られることもある。今ではすっかり街の人々に慕われている中西さんだが、ここへ至る道は平坦ではなかった。
中西さんの生まれ故郷は愛媛。父親は海外航路の船乗りで、兄や姉と共に何不自由なく育った。高校時代の成績はクラスで1、2番。「税理士を目指して広島の経理の専門学校に入りましたが、筆記力がなくて、試験の答えを時間内に書ききることができませんでした」
そのまま車を運ぶ陸送の会社に就職し、経理を任されるようになった中西さんは取締役まで昇りつめ、年収は1千万円に。「結婚して双子の男の子にも恵まれ、4千万円の一戸建てを購入しました」
ところが、ガソリンの高騰で会社の経営は悪化。さらに、中西さんが雇った社員がひき逃げ事件を起こしたことから、責任を取って辞職せざるを得なくなった。
「残った住宅ローンは月17万円。女房は再婚だったので、もともと娘が1人いて、僕たち夫婦は3人の子を育てていました。再就職した会社は給料が安い上に、支払いが滞ったまま倒産。家は競売にかけられ、自己破産の手続きをして、女房とは離婚しました」
守るべきものを失った中西さんは働く気力をなくし、冬が近かったことから暖かそうな九州を目指した。最後に暮らしていた下関を発つと、自転車で九州の寺を回って「草むしりでも何でもします」と声をかけた。「1日5、6軒も回れば1、2軒は手間賃やおむすびをくれるところがありました」
3ヵ月さまよい、寺の多い熊本にたどり着いた中西さんは今後のことを市役所に相談。紹介された「社会福祉法人グリーンコープ」を訪ね、そこで、現在「よか隊ネット」副代表の高木聡史さんと出会い、ビッグイシューを紹介された。
中西さんはアスペルガー症候群と糖尿病の診断を受けたことから、今は医療扶助を受けながら販売を続けている。血糖値を下げるために、1時間のウォーキングを毎朝欠かさない。
「アスペルガーとの診断を受けてからは、ピントが外れたことを口にして誤解されることが怖くて、人と話すのを避けていました。でもビッグイシューを売っていたら、お客様と話さざるを得ないし、暗い顔をしていたら誰も買ってくれません。自然と笑顔がこぼれ、自分自身の心が洗われていく感じがしています」
外はあいにくの曇天だったが、中西さんの笑顔は夏空のように晴れやかだった。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている BIG ISSUE
292 号(2016/08/01発売) SOLD OUT
特集夏こそ眠る