販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
寺岡敬悟さん(JR大阪駅・桜橋口)
「あなたの人生これからですよ」どんな高価な宝石より350円が輝いて見えた
「同窓会に行ってくる言うて、もう18年経つけど、まだ帰ってけーへんのよ、僕の嫁さん……」
JR大阪駅・桜橋口に立つ寺岡敬悟さん(62歳)は、冗談でも話すかのようにそんな話を始める。半年の同棲生活の末に結婚も考えていたという〝僕の嫁さん〟。警察に捜索願いを出しても足取りはつかめず、未だ同窓会に行ったきりなのだという。そして、「まあ、今、帰ってきても住む部屋はないんだけどね」と最後はユーモアを交えてオチをつける。
出身は和歌山県。漁師町に育ち、大阪に出てきたのは25歳の時だ。印鑑の訪問セールスやパチンコ店員などを経て、30代半ば頃から始めたトヨタの期間工では月収40万円以上をもらい、貯金もしていた。ところが、仲間と立ち上げた会社で経理を任されると、ほどなくして不渡りをつかまされる羽目に。同時期には分譲マンションの購入詐欺にも遭い、寺岡さんは多額の借金を背負って破産。悪いことは続き、その頃から〝僕の嫁さん〟も帰ってこなくなった。
路上生活を余儀なくされたのは、昨年のことだ。地下鉄の清掃の仕事をしていたが、突然、立てないほどの強い目まいに襲われ、メニエール病と診断された。治療に2ヵ月を要し、失職。新しい仕事も見つからず、仕方なくベンチで寝ていると、5日目の朝に貴重品の入ったウエストバッグを盗まれ、途方に暮れた。しばらくはジタバタしたが、2ヵ月も経つと疲れ切ってしまった。
「もうその頃には、生きていてもしゃあない、最後の500円でキャベツ焼きでも食べて、もう人生終わりにしようと思って淀屋橋を歩いていたんです。そしたら、おっちゃんが持ってるビッグイシューのエマ・ワトソンの表紙が目に入って。あ、ハリーポッターやと、思わず買ってしまった」
ベンチに座って、隅から隅まで3回読んだ雑誌の中には、こんな言葉があった。「サイは首を曲げられないので左右も後ろも見ることができない。前を見て生きるしかない」。自分に言われている言葉だと思った。
「それで、もう嫁さんを待つのはやめようって思ったんです。不渡りをつかまされたことも、詐欺に遭ったことも、ウエストバックを盗まれたことも、もういい。とりあえず飢え死にするまで生きてみようって」
なんとか路上で命をつなぎ、公園の水を飲む気力も失せた頃にビッグイシューの販売者に声をかけられた。雑誌の販売に期待はしていなかった。案の定、販売初日は1時間、2時間と過ぎても、誰も見向きもしない。やっぱり、こんなもんやろう――。そう思って4時間が過ぎた頃、一人の女性が寺岡さんの前に立った。「最近、買えなかったから助かるわ。ありがとねー」。一瞬の出来事に茫然と立ち尽くし、手の平の350円をしばらく見つめた。すると、どういうわけか、身体がブルブルと震え出し、自分の中から何かがこみ上げてくるのがわかった。
「これはヤバイと思ってね、郵便局のトイレに駆け込んで、15分ほど号泣しました。月40万円もらっていた時は何にも思わなかったのに、その時の350円はどんな高価な宝石よりも輝いて見えた。めちゃくちゃありがたかった」
売り場に立ち始めて4ヵ月。寺岡さんは、2度の窮地で出合ったビッグイシューに運命も感じているという。対面販売は苦手だったが、今では初対面のお客さんにも自分から話しかけられるようになり、「性格まで変わった」。
「販売初日のお客さんに『あなたの人生はこれからですよ』と言われたけど、本当にその通りだった。今は人生の中で一番幸せ。僕が救われたように、できるだけ多くの人に雑誌の中身を読んでもらいたいなと思っています」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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特集住民の元気。6年目の被災地