販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

Nさん

ここに立っている時だけは、社会の一員として同じ町の空気が吸えている気がするんです

Nさん

 近鉄奈良線の学園前駅北口。ロータリーを抜けた横断歩道のたもとで、雑誌を掲げたNさん(36歳)は今日も声を出し続けていた。「ビッグイシューです!」「いってらっしゃいませ。お気をつけて」「お帰りなさいませ。今日もおつかれさまです」。朝の9時から夜の9時まで12時間。休みの火曜以外は毎日、声を出しながら立ち続ける。
「恥ずかしがり屋なんで、逆に黙って立っていることができなくて……」。もともと人前で声を出すのは苦手だが、そのうち人の目も気にならなくなったという。
「最初は怪訝な顔もされたけど、今は『アイツ、またやってるわ』って感じでソッとしてくれているのかなって。この街の人は本当に優しいんです」。前を通るたびに栄養ドリンクを渡してくれる人もいれば、花を持ってきてくれたり、この前はスリッパ姿を見かねてスニーカーまでプレゼントされた。雑誌を買ってくれる人だけではない、横断歩道を渡る人すべてがお客さんだという。「おかげで人間不信も治りました」
 出身は福岡県。父子家庭で育ち、高校卒業後、大阪へ。町工場の旋盤工として12年働き、最盛期には月150時間の残業をこなすなど、少なくない給料をもらっていた。だが、30歳の時に工場が倒産。その後は、勤めても長続きせず、履歴書に書ききれないほど多くの職を転々とした。「最初の工場がわりと自由に働ける職場で、12年働いた自負もあったから、雑用をさせられたり、自分より若い人に指示されるのが嫌だった」と振り返る。
 これではダメだと、新幹線の部品製造会社に勤務。3ヵ月契約の派遣社員だったが、まじめに働いた。が、期間工になれる3年目の更新を前に契約を打ち切られ、自分の中で何かがプツっと切れた。35歳だった。
「かなり凹みましたね。期間工になれば、正規雇用の道もあったから。住み込みのアパートも出されて、完全にやる気をなくして、お金がなくなるまで遊び回った後は西成での日雇い生活でした」
 西成では、働いては遊んでお金を使い果たし、また翌日に日雇いに出るという毎日を送った。そんな時、シェルターの列に並んでいるところをビッグイシューの販売者に声をかけられた。最初は、雑誌なんて売れるわけないと思っていた。だが、今はこの仕事が好きだという。
「西成にいた頃は、昼間の町は人の目が気になって完全アウェイ。罪悪感というか、ジャイアンツのユニホームを着て甲子園にいるような居づらさがあった。でも、ここでは雑誌が売れようが売れまいが、社会の一員として同じ町の空気が吸えている感じがする。立っている時だけ、ホームレスじゃない自分でいられる気がするんです」
 雑誌を買って、応援されるとうれしくなる。だが、もっとうれしいのは、人に道を聞かれた時だという。最初の売り場だった大阪・天満の商店街では、1日に何度も道を聞かれた。
「この前も、僕の目の前で女学生が電話していて、『いま学園前だけど、赤い帽子をかぶったお兄さんのところにいるから!』と話す声が聞こえて……。待ち合わせの目印でも何でもいい、人の役に立てるのがうれしい」
 都会に疲れ、人間不信になっていたというNさん。以前は、過疎地で黙々と農業をしたいと考えていたが、ある出会いから考えが少し変わった。いつも雑誌を買ってくれていた中学生から、「おっちゃんがいつもがんばって立っている姿を見て、学校に行けるようになりました」と言われたからだ。
「ずっと不登校だったらしいんですけど、そんなん言われたらやっぱりうれしいじゃないですか。僕の場合は自業自得だけど、子どもたちには将来、自分のようになってほしくない。ちょうど顔見知りになった人からもフリースクールで働いてみないかと言われているので、新年まではここで踏んばって、もう一度、都会でがんばってみようかなと思っています」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

この記事が掲載されている BIG ISSUE

277 号(2015/12/15発売) SOLD OUT

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