販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
『ビッグイシュー オーストラリア』販売者 マーク
久しぶりに戻った故郷。乱暴な男だった僕に、ビッグイシューが 生きる方向と自制心を与えてくれた
サウスオーストラリア州の州都、アデレードは、英国風の煉瓦の街並みが整った落ち着いた町だ。街の周辺には、ワイン用のブドウ畑やアーモンドの果樹園、のどかな牧場が広がっている。
そんなアデレードで週に7日間、勤勉に『ビッグイシュー オーストラリア』を売っているのが、地元出身の販売者、マークだ。去年、販売を始めて以来、マークの生活はがらりと変化した。
「昔は本当に乱暴者でした。50歳になるまでは、将来は惨めな老人になるんだろうなと思っていましたよ」とマークは語る。「だけど6ヵ月前、しばらくぶりにアデレードに戻ってから、人生がまったく違うものになりました。乱暴な男だった僕に、ビッグイシューが生きる方向と自制心を与えてくれたんです」
マークが育ったのは、アデレードの北東部に位置する、人口約10万人のティーツリーガリーという小都市だった。「両親は離婚した後、今はどちらも再婚して、第二の幸せをつかんでいます。兄と妹が二人いますが、連絡はとっていません」
「高校はロストレバー・カレッジです。でも10年生の時、素行が悪くて学校から追い出されました。先生が両親に電話して、僕が両親のお金と学校の時間を無駄にしているって言ったんです。それで、技術専門学校へ2、3ヵ月通ってから、自動車販売の仕事に就いたんですが、向いていなくて、将来の見込みは全然ありませんでした。その1年後、父が僕を家族経営の肉屋に見習いに出しました」
それが1978年のこと。肉屋修業はきつかったけれど、まだ指は全部そろっているよ、とマークは言う。「でも、健康上の理由で、そこを辞めなければならなくなりました。それからは、タクシー運転手をしたり、バーで働いたり、果樹園の仕事を手伝ったり、ありとあらゆる仕事に就きましたね」
そんな不安定な暮らしの中で、やがてマークはアルコールに溺れていった。アルコール依存症のリハビリ施設に入れられたこともあるという。「ドラッグを試すことにとりつかれていた時期もありました」
「オーストラリア北部のノーザンテリトリーには3回旅行。この5年間はメルボルンに住んでいました。そこで友達がビッグイシュー販売をしていたんです。どんなものか彼に尋ねたんですが、その時は実際に自分が販売をするには至りませんでした」
しかし、父親の病気が重くなったことを知り、マークは久しぶりにアデレードに戻ることを決意した。そして、生活の糧を得るために、アデレードでビッグイシューの研修を受け、販売を始めた。
だいたいは、ゴーラープレースとピリー通りの角にある、NAB(ナショナルオーストラリア銀行)前で販売している。ビッグイシューの販売場所としては新しいのだが、徐々に常連客がつき始めているという。
「ここはビジネス街で、街を行きかう多くの人が、ビッグイシューに好意的です。会社を出て、コーヒーショップへ向かう途中に、販売者がいるというわけなんです。僕は性格がいいし、立派な労働倫理をもって仕事をしているから、お客さんは僕を、まるでピリー通りのオフィスで働く人のように扱ってくれるんですよ」
「物質的には、僕は何も持っていません。でもそうだ、販売を始めてから、ちょっとしたカメラと腕時計を買いました。今の楽しみは、カメラを持って写真を撮りに出かけることですね。本を読むのも好きです。出かける時は必ず持って行きますよ」
「2年前、肺気腫で入院したことがあって、今できる仕事といえば、これだけです。35年間タバコとマリファナを吸ったせいで、すぐに息切れがしてしまうから。医者によると、僕の肺年齢は80歳なんだそうです。でも気にしません。まだ酸素ボンベを持ち歩くほどじゃないですよ」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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特集2015年夏、ストリートデモクラシー