販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
サンクトペテルブルク『Put Domoi』販売者 ミハイル・デニソフ
もう、一人ではない ストリート誌を販売し、周囲の人々に笑顔を届ける詩人
国境を開放せよ!
人々を混在させよ!
僕らは人間だ! 僕らは鳥だ!
みんな母なる自然の子どもたちなんだ!
僕らはまるで戦車の中に座っているかのように
互いに目を合わせることなく
脅威と不安の中に閉じ込められている
君らのユートピアや交渉の話はもうたくさんだ
結局それらは紙面上でのみ完結し
倉庫にある爆弾のように備蓄されたまま
僕らに戦うべき敵などいない
僕らにはやるべきことがある
貧困を解決すること
その問題だけで
僕らは手いっぱいなんだ (……)
分裂や不満から生じる戦争を避けるため
僕らは大富豪たちが放つ輝きを
物乞いたちの闇で
霞ませなければならない
ロシアのホームレス詩人、ミハイル・デニソフは、1994年に立ち上げられたストリート誌『Put Domoi(家路の意)』の創刊とほぼ同時期に、この雑誌の販売の仕事を始め18年になる。暖かな時は街角で、寒い時には地下鉄の車両で販売を行う。時に大きな声で自作の詩を読み上げたり、人気オペラのアリアを、さらに大きな声で歌ったりしながら。
ロマン派に触発された僕は海に魅了されている
そう幼い頃から僕はずっと海に夢を抱いてきた
そんな僕が恐れていたのは嵐や強風じゃない
恐れていたのは試験だった
ああ試験よいまいましい試験め
そいつが運命を決める
僕を船乗りにさせるかそれとも僕の目の前にあるこの海を
僕の詩の中だけで留めさせるべきかと
誰かこの少年に同情してくれる人はいないものか?
ただこう言ってくれるだけでいい「そこの少年よその海を愛する気持ちだけで十分だ さあおいで!」
しかし結果は不合格だった
僕はごみ溜めの暮らしから抜け出せなかった
ミハイルは62年前にサンクトペテルブルクで生まれた。幼い頃から船乗りになることが夢だったが、健康に恵まれず、その夢がかなうことはなかった。その後大人になった彼は交通事故に遭い、脳に重度の損傷を負ってしまう。精神的な問題を抱えるようになったミハイル。親戚が彼名義のアパートを売却してしまい、ホームレス状態に陥った。
ストリート誌販売者の暮らしは、常に予測不可能で、たくさんの驚きに満ちている。最もつらいことは、警官や地下鉄の警備員による敵意ある行動だ。ただホームレスということだけで、警備員から暴力を振るわれることもある。
それでも、日々誠実に販売を続けていると、贈り物を受け取ることもある。勇敢な海軍兵が笑顔であいさつしてくれたり、時には、お客さんからチョコレートやリンゴといった差し入れ、また何人もの会社勤めの女性たちからお花をプレゼントされたこともあるという、人気者のミハイル。
2年前には、若い頃から彼を好きだったという女性が路上でミハイルを発見し、今では、親戚が売却した彼のアパートを取り戻すため奔走してくれている。彼女は彼と結婚し、自分の名字を名乗ってほしいと願っているという。
もちろんサンクトペテルブルクにも、ホームレスの人々を支援する公的サービスはある。しかし一般的に「公的」とは「官僚的」を意味し、政府運営の避難所で彼らが夜を過ごそうと思うと、名前・年齢・性別など、膨大な書類への記入が必要となる。それであれば、チャリティ団体の食事や衣服を提供するサービスに申し込むほうがずっと簡単だ。それでもなお、チャリティ団体「Nochlezhka(ナイトシェルターの意)」の情報によれば、毎年約千人のホームレスの人々がサンクトペテルブルクの路上で亡くなっているという。
人々のホームレスに対する態度を一括りにすることはできないが、しかし社会的に疎外されたもう一人の詩人、米国のロックバンド・ドアーズのジム・モリソンはこう語る。「人というのは不思議なもので、一人よそ者でいる時の顔というのは、醜いものなんだ」
ミハイル・デニソフはストリート誌を販売し、詩を書き、そして周囲の人々に笑顔を届けている。彼はもう、一人ではない。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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特集海と放射能。三陸の世界的漁場は?