販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

ヒロキさん

販売者になって、沸々と湧いてきた。 今までの懺悔の気持ちと、感謝を伝えたい

ヒロキさん

「ビッグイシュー、ビッグイシューはいかがですか~」と、明るく大きな声を響かせて近鉄大阪上本町近鉄百貨店周辺で販売をしているヒロキさん(57歳)。販売者となって約半年。昨年はNHKの取材を受け、自身で作詞作曲した「ビッグイシューの歌」を番組内で披露したり、ビッグイシューのイベント時には司会を務めたりと、はつらつとした姿が印象的だ。ところが、「ホームレス状態だった約20年間、人づき合いはできるだけ避けてきたし、誰ともまともに話をしていなかった」とヒロキさんは話す。「今回、このページに出させていただくことを決めたのは、今までの懺悔の気持ちと感謝の気持ちを伝えたいからなんです」
中部地方のある町で生まれ育ち、幼い頃に母親の再婚で一気に8人きょうだいの一員に。小学校6年生の頃から父が働く鉄工所を手伝うようになり、そのアルバイト代は家族の生活費の一部になった。中学卒業後は、地元の郵便局に勤めながら定時制高校に通った。「朝8時からだいたい14時半ぐらいまで郵便配達。それからちょっと自由な時間を過ごして、夕方から学校に行っていました。中学生の頃はお金もなかったからクラブにも入らずおとなしくしてたんだけど、高校では生徒会の役員もしたし、野球や剣道などクラブ活動も満喫できて楽しい4年間でしたね」
その郵便局で7年ほど働いた後、よりよい待遇を求めてガソリンスタンドへ転職。広いスタンド内で意思疎通をはかるために、新人研修で声の出し方をみっちり教わったという。「この時、身につけた発声が今の販売にもすごく役に立ってますね(笑)」。
転勤も多かったことから、24歳の時に大家族が暮らす家を出て一人暮らしをスタート。誘われて再転職した会社で電気配線の勉強をし、34歳の時に自動車部品をつくる仕事で独立した。「当時の月収は70万ほどあり、結婚もして子どもも授かりました。でも、遊びに費やすお金がだんだんと増え、借金も気がついたら数百万。返済できなくなり、妻子を残して家を出たんです」
そこから、ヒロキさんの不安定な生活が始まる。風俗店の呼び込みや運転手、麻雀店の店員など断続的に仕事をしながら各地を転々とした。いつしか冬場は建設現場の寮で寝泊まりしながら働き、春から次の冬まではホームレス状態という生活が定着し、それが去年の夏まで約20年続いていたという。「手持ちが千円しかなく焦っていた時に、ビッグイシューのチラシをもらったのが転機。販売者になって多くの人と出会ったことで、人づき合いがまた楽しいと感じられたし、気持ちのもちかたが大きく変わりました」
半信半疑ながらも雑誌を売り始め、1日数冊しか売れない日を経験しながらも、少しずつお客さんが増えていった。2ヵ月後には創刊10周年という節目もあり売り上げが伸び、年末にはビッグイシュー支援者の厚意もありアパートに入居できた。
「いつもまじめに販売をがんばっているねと声をかけてくださった方がいて、1月から週3日のアルバイトが決まったんです」とうれしそうなヒロキさん。「同時に、懺悔と感謝の気持ちが沸々と湧いてきました。妻子を残して家を出たことを後悔しているし、心から謝りたい。そして、ビッグイシューにかかわる人たちに感謝の気持ちを伝えたいんです。10年以上発行し続けてくれたスタッフ、本を売り続けてくれた販売の諸先輩方、買い続けてくださったお客さん。今、僕を支えてくださっているみんなに感謝してもしきれません」
いま、毎週日曜日に教会に通い、さまざまな国の人たちと話をすることが楽しみであり癒やしの時間だとヒロキさんは言う。
「アパートにも住め、アルバイトも見つかり、いいことばかりの半年でした。心とお財布にもう少し余裕ができたら、みなさんがくれた優しさを今度は僕がほかの困っている人たちに向けていきたい。当分はビッグイシューの販売とアルバイトを両立させて、少しずつ階段を上がっていこうと思います。ちょうどこの記事が出たあと、3月6日で58歳。でも、心はつねに30歳でがんばります(笑)」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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