販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
吉澤豊二さん
気の向くままに あちこちで仕事をする「寅さん」人生。 一番人間らしく生きているのが、今
栃木県出身の吉澤豊二さん(65歳)は、生まれついての風来坊らしい。顔を合わせてすぐに「俺の正体、わかる? 寅さんと一緒よ、フーテンの寅次郎」と、くしゃくしゃの笑顔で話しかけてきた。聞いてみると、中学卒業後は東京で就職したものの、中学時代の同級生とお互いを引っ張り合うようにして、職を転々とするようになってしまったという。7~8年が過ぎた頃、二人は長崎へ向かう。「あったかいところへ行こう!」と。 長崎では楽しく泊まり歩き、資金が尽きようとした最後の宿で運よく仕事を紹介された。大阪万博の直後、高度経済成長にわく日本はどこもかしこも人手が足りなかった。
「電話工事の仕事で、3人ひと組で1日に15ヵ所ぐらい回ったかな。行った先では『ご苦労さまです』って、飲みものとか出してもらうことも多かったなあ。5年ぐらいいて、東京が恋しくなって昭和50年に帰ってきちゃった」 十数年つるんできた友人とも、そこからはまったく違う道を歩むことになった。吉澤さんは東京へ、友人はそのまま長崎に残って電話工事の仕事を続けた。今ではその会社を買い取って、社長をしているほどだとか。
「俺は楽天家だからね。『なるようになるさ』としか思っていないんだ」。話の内容からも口ぶりからも、圧倒的な陽気さがうかがえる吉澤さん。20年以上のフリーター生活を経て、50歳に手が届こうかという1996年。いつものように新聞の求人をチェックしていた吉澤さんの目に、テキ屋の求人が飛び込んできた。 「じゃがバタ、チョコバナナ、イカ焼き、おでん、七味、ジュース、金魚すくい……。まかされるものが毎回違うから、一つひとつその道の先輩に教わってね。その人が先にやっていればどんな人でも先輩だから、若いアルバイトの女性からも教わったよ」
祭りのある町から次の町へ。にぎやかな空間を渡り歩く日々は、吉澤さんの性格に合ったのかもしれない。気づけばテキ屋生活は、あしかけ15年にもわたった。それが、「俺は、フーテンの寅さんと一緒」という発言の意味するところだ。 「辞めたのは平成22年。上下関係が厳しい世界だから今でも仕事の声をかけられるし、飲みに行けばただで飲ませてもらえる。去年の春にもちょっとだけ手伝ったんだけど、戻ろうとは思わないな」
ビッグイシューの販売を始めたのは、昨年5月8日。「やってみよう」と思ったその足で事務所に連絡し、当日から販売を始めた。迷いも苦労も、一切なかった。 「天職だと思っているんだよね。ちょっとキザだけど、この仕事を始めて人間性に目覚めたっていうの?」
毎日同じ場所に立つようになって、吉澤さんは本音で人と接するよろこびを実感している。お客さんだけでなく、近くのビルの清掃員やガードマン、コーヒーショップの店員とも日常的に言葉を交わすようになった。 翻訳小説好きの吉澤さんのために、本を渡してくる人もいる。だが、吉澤さんが人々を引きつけるのは、実はその明るさや屈託のなさだけが理由ではない。
「通る人の98%は、買ってくれないんだよ。残りの2%のお客さんをどうつかむかが大切なんだ」。テキ屋での販売業で得た経験値なのか、吉澤さんは人との距離感の測り方が絶妙にうまい。 「声も出さない。朝の通勤途中の道で、誰かが大きな声を出していてもうるさいだけでしょ? 呼び込みをしなくても、買う人は買う」
マーケティングや販売の専門家でも納得しそうな持論で、吉澤さんはひと月平均600冊を超える売り上げを続けている。販売者生活1年となる5月の連休明けには、マンガ喫茶で寝泊まりする生活からアパート暮らしに切り替えたいと考えている。 「毎朝『お客さんには感謝を込めて、傲慢にならないように』と自分に言い聞かせている」と語るその目に、鋭い光がともる時がある。お客さんを含めた周囲の人々との接し方、商品の扱い方や売り文句の使い方など細かいところにまで頭を使う吉澤さんの一面が垣間見える瞬間だ。
「お客さんから『おじさんはここにいるだけでいいんだから』と言われてさ」。次の瞬間には顔全体がとろけそうなうれしさを見せる、吉澤さん。新宿西口の三井住友ビル55HIROBA前に毎日欠かさず立っている。平日は午前8時から夕方6時45分まで、土日は10時から5時まで。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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