販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

井手満男さん

僕はホームレスになって、販売者になって、 新しい人間になれた気がする

井手満男さん

「今の僕にとっては、一日一日が生きていくための闘い。でも、そこにもきっと意味はある」
さっきまで冗談を言って笑っていた井手満男さん(37歳)は、仕事の話になると表情と声のトーンが少し変わった。おびただしい数の人が毎日行き交う、梅田阪急百貨店前に立ち始めて半年。体調の悪い日を除いてほぼ毎日、この場所でビッグイシューを販売している。
「学校の授業でビッグイシューを知ったという女子高生やロンドン版を買っていたという男性とか、日々いろんな出会いがあります。身体が不自由で歩くのも大変なのにいつも買いに来てくださるお客さんもいてね……」
去年のクリスマス、井手さんはその人に、日ごろの感謝の気持ちを込めてクッキーとサンタの置き物をプレゼントした。すると、次の号の発売日、その人はカイロと手紙を持ってまた買いに来てくれたという。
「手紙には、『サンタさんありがとう。クッキーもおいしくいただきました』って書いてあって、グッときました。僕よりも過酷な人生を送っているかもしれないのに、僕のことも気にかけてくれているなんて。これまでの人生、僕は人のことをあまり大事にしてこなかったけど、人のつながりの大切さってものを、今初めて噛みしめているような気がします」 井手さんは3人兄弟の末っ子として大阪で生まれた。中学卒業後、「高校進学よりも自分の糧になると考えたから」と就職する道を選ぶ。建設現場での仕事に3年間従事したが、いつのまにか心身ともに疲れてしまい退職。そして、20歳で家を出て、あこがれていたという東京へ。
「16歳の時からずっと親に給料もボーナスも渡していたんだけど、それが窮屈になってきたし、親への不信感がわいてきてしまってね。とにかくもう家にいたくなくて」
東京ではビラまきのアルバイトや水商売の仕事を転々とした。「家出したということもあって身分証明書もない。それを言いわけに、あれもできない、これもできないって考えてた。人間ってラクな方へ、ラクな方へと行っちゃうじゃないですか。自分でもこれはアカンなって感じてはいたんですけどね」
ある日、咳が止まらなくなり、気絶してしまう。十数年ぶりに実家に連絡を取り、帰阪。結核だった。しばらく療養した後、友人の紹介で飲食店などで働いたが、「そこに意味はあるんだろうか」という疑問がわいて仕事を辞めて実家に戻った。しかしその時には親も生活保護を受給して暮らしている状態だったという。
「実家にもいられなくてまた家を出たものの、仕事はそう簡単に見つからない。働いて自立するって、もっと簡単なことだと思ってた。そんな時にビッグイシューのことを思い出して事務所に電話をしたんです」
販売者となってからは、ツイッターを駆使して宣伝するなど、独自の試みを積極的に展開。ツイッターを見てやって来たお客さんとの輪も広がりつつある。
「お客さんがね、『がんばってるね』とか『勇気をもらった』とか声をかけてくれるんです。その一言で僕も元気が出てくるし、こんな自分でも誰かの役に立てているのかなって思うとうれしくて……」
販売者になってから、「自分が変わった」と井手さんは力を込めて言う。
「これまで一人で生きてきた僕が今、こんなにたくさんの人に支えられている。そのことを毎日ひしひしと感じて、本当に感謝の気持ちでいっぱいになるんです。正直言うとこの仕事は予想以上に大変だし、逃げようと思えば逃げることもできる。でもこの人たちを絶対に裏切りたくないっていう気持ちが、僕の中にものすごくある」
人と接している時に生きていることを実感する。だからいつか飲食店などで接客業に携わりたい―。そんな希望をもつ井手さん。
「僕はホームレスになって、販売者になって、新しい人間になれた気がする。だから、僕がしてもらったようにホームレス状態にある人に手を差し伸べられる、何かそんな仕事もしてみたい。僕なりに社会にアプローチして、少しでも現状を変えていきたい、そういう意味でも毎日が闘いなんです」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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