販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

井上一博さん

常に新しいこと考え、変わらなあかん。 でも、多く売るコツは長時間立つことにつきる

井上一博さん

井上一博さん(48歳)がビッグイシューの扉を叩いたのは去年の2月1日。雑誌のことは以前から知っていて、決心が鈍らないように発売日を狙い定めていった。

「そしたら発売初日って、みんな自分の売り場が忙しいんですよね。指導してくれる人がいなくて、仕方ないからサポートスタッフに売り方を教わったんです。痛恨の思い出ですね(笑)」

大阪市の北に隣接するベッドタウン、豊中市。住宅地を回るバスが集結する阪急豊中駅の東口を出た時計台広場に、井上さんは立っている。晴れた日なら、きっと梅田行きの電車内からも姿を見つけることができるだろう。取材時には、なんと朝6時から販売を始めていた。「5月いっぱい、夕方は西梅田の共同店舗にいるから、せめて出勤のお客さんには確実に会えるように」と考えてのことだと言う。

この場所は去年の夏、体調を崩した前任者から「あとは真面目な若手に託したい」と指名を受けて引き継いだ。以来地道に努力を重ねて、豊中駅を安定した売り場に育ててきた。

「常に新しいことを考えて、何か変化せなあかんと思ってやってます。でもやっぱり多く売るコツは、長時間立つことにつきますね。初めて買うのにちょっと勇気がいる雑誌ですから、『あ、何度通ってもあの人いるな』って思ってもらうのが大事かな」

ここ豊中は、井上さんが生まれ育った街でもある。売り場からわずか50メートルの場所にかつて家があったという。「不思議なもんでね、昔の知り合いにはまだ一人も会わないんです。まぁ、遠くから見てる人はいるのかもしれませんけどね」

井上さんはもともと、大手のパン工場で働いていた。
「古い会社でね。いまだに派遣を使わず、学生バイト一人まで、人事課がじかに面接して雇うんです。せやからごっつ雰囲気はよかったですよ。私はパートのおばちゃんの助っ人として、毎日違うラインに入ってました。飽きっぽい性格の私にはぴったりでした」

ところが、母親が突然倒れ車椅子の身になったため、井上さんは長く勤めたその会社を辞めることになる。「こっちは明日から生活してかなあかんのに、介護保険って申請してサービスを受けられるまでに時間がかかるでしょう。姉二人はすでに結婚していたから、ここは俺がやらなって。それまでやんちゃもしてきたんでね。当時はそこそこ貯金もあって、大丈夫やと思ったんです」

半年間の介護生活ののち、あっけなく母親は亡くなった。しばらくは何もやる気がせずぼんやりしていたものの、一度は別の会社に就職したという。「その会社が不景気でつぶれて、それからですね。毎日仕事探しても全然見つからなくて。最後落ちるのは早かったなぁ」

ホームレス状態となり絶望した井上さんは、自殺を考えたこともある。「でも一人ではなかなか死ねなくて。死に場所探して、京都へ行ったこともあります。3日ぐらい様子をうかがってたんやけど、結局すごすごと大阪に戻りましたよ」

井上さんはビッグイシューの販売を4年間をめどに考えている。
「オリンピックになぞらえて、ビッグイシューというゲームを楽しむつもりでやってます」

アパートに入るのも無理ではない売り上げのある井上さんが野宿を続けるのは、大きな目標があるからだという。
「もともと楽しみは後にとっておく性格なんですよ。でも、それだけじゃない。10秒の壁って聞いたことあります? 100メートル走の。長いこと誰も越えられなくて、人類の限界じゃないかといわれていた。でも、68年にハインズという選手がついに9秒台を記録したら、すぐに世界各国で何人か続いたんです。だから、僕もまずは自分が100万円貯めることに挑戦してみたいんです」

「販売を卒業したら、仕事を選ぶつもりはありません。つまらん仕事こそ、一所懸命楽しんでやる、そこに意味があると思ってます。貯金を達成して、アパートに入って、一杯やったらどんな味がするやろな。泣いちゃうかもしれないね」

販売者仲間とは、ビッグイシューのあり方についてもよく話し合うそうだ。
「前の売り場で、常連だったおばあちゃんに言われた言葉があるんです。『にいちゃん、この雑誌特におもしろいと思えへんねんけどな、ないと気になんねん』って。うれしかったですね。そこまで定着してくれたら、恐いものないですやん」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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