販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

石井明さん

販売者になっての一番の変化は、 孤独感がなくなったこと

石井明さん

大阪・千里中央の北急&モノレール連絡口に立つ石井明さん(47歳)は、販売者となってから初めての冬を迎えている。
「ここは風が吹きぬけるんだ。だからできるだけ着こんで防寒対策をしてるんだけど、それでもやっぱり寒いね」

ある日、寒そうに立っている石井さんを見て、通りがかった女性がカイロを手渡してくれた。「感激して、何度もお礼を言いました。そういう優しさに触れることが多いんですよ。折れそうな心をいつも助けていただいています」

石井さんは東京で生まれ、埼玉で育った。両親が共働きだったため、幼少期は祖母と一緒に過ごすことが多く、「もう、本当におばあちゃん子でしたね」と話す。高校卒業後は、県内の精密機械メーカーに入社。部品を管理する業務に就き、12年間正社員として働いた。

「給料も悪くなくて完全週休2日制で、働きやすい職場だったんです。でも、景気が悪くなって、業務縮小や人員整理が始まってね。給料は頭打ちになり、上司との折り合いも悪くなってきたから、それを機に退職することにしました」

30歳だった石井さんは、すぐに働ける職場を希望して寮付きの新聞販売店に就職。同時にそれまで住んでいたアパートは引き払った。そんな折、実家の母のがんが判明。

「2年間の闘病後に母は亡くなったんだけど、しばらくしてから、母が生活費のために借金を重ねていたことがわかったんです。当時は相続放棄という方法があることを知らず、僕と姉で母の借金を相続。時間をかけて毎月少しずつ返済していくことになりました」

ところが、勤めていた新聞販売店が倒産し、仕事と住まいを一度に失ってしまう。貯金も、借金返済のためにほとんどを切り崩していた。東京に出て仕事を探したもののなかなか採用にまで結びつかず、35歳の時に初めて路上で夜を明かした。しかし、すぐに自立支援センターに入所。早くに仕事も見つかり、アパートを借りることができた。

「神奈川県にある冷凍食品の仕分けをする工場で、フォークリフトを操作していました。ここで10年近く働いていたんですが、仕事のミスをして職場には行きづらくなり、辞めてしまったんです」

思いたって、友人を訪ねて大阪へ。しかし友人とは会えず、一人で座り込んでいたところを、自立支援センターの巡回相談員に声をかけられた。再び、自立支援センターに入所するが、工場での最後の給料が振り込まれると、その25万円を持ってセンターを飛び出してしまう。そのお金でもう一度やり直そうと、そのままにしていた神奈川のアパートへ戻り、滞納していた家賃を支払った。しかし、職が見つかる前に生活費は底をついた。

「たとえすぐに就職できたとしても、給料をもらえるのは1ヵ月先でしょ?途方にくれてあるNPOに相談に行ったら生活保護を勧められたんです。生活保護は認められたんだけど、しばらくして新聞勧誘のアルバイトが見つかり、その収入が安定する頃には生活保護を受給せずにすむようになりました。でも結局、その仕事も続かなくて……」

再び、あてもなく大阪へ向かったのが去年の6月。ネットカフェで仕事を検索している時に、ビッグイシューのことを知った。販売職の経験がないため1週間ほど迷ったというが、「とにかく何かをしなければ」と事務所へ電話を入れた。

「販売者となってからの一番の変化は、それまで感じていた孤独感がなくなったこと。顔見知りのお客さんも増えてきたし、スタッフや販売者仲間と楽しく話せる時間があるというのがうれしいね。僕はお金の管理が上手じゃないから目標が立てづらいんだけど、この仕事をがんばりながら、次の一歩につながればいいなと思ってる」

昨年9月にスタートした、ビッグイシューの「鉄道クラブ」にも参加。幼少の頃から乗りものが好きで、中高生の頃はカメラを持って電車や機関車に乗りに行っていた"乗り鉄"であり"撮り鉄"だ。

「海沿いを走る列車に乗り、海を見るのが好き。またいつか青春18きっぷでも買って、ゆっくりと列車に乗りたいね。今年は年男だから、よい一年になると信じてがんばるよ」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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