販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
清水政男さん
お客さんや仲間との関係を大切にしている。 信頼できる若い友達もできた。春には販売者を卒業したい
四角く折られたブルーシートの上に、1冊ずつ透明なビニールに入れられたバックナンバーが整然と並ぶ。最新号を求めるお客さんには、プラスチックケースの中から出されたきれいな1冊が渡される。東京メトロ南北線とJR山手線が交わる駒込駅前での、日常的な光景だ。雨の日以外の平日は午前9時から午後7時、土曜日は午前10時から午後5時まで、お客さんを待っているのが清水政男さん(51歳)。
「ビニールに入れているのも、事務所でほかの人がやっているのを見てまねただけ」と謙虚な清水さんだが、今年の1月に販売者を始めてからの11ヵ月で多くの固定客がついた。
「必ず買ってくれる人は、100人ぐらいかな。駒込の人は、あったかいよ。いろいろ持ってきてくれる。この厚手のコートもそうだし、マフラーなんて若い女の子の手編みなんだ」と、清水さんは微笑む。携帯の番号やメールアドレスを交換しているお客さんからは、「いついつ頃行きます」と連絡が入ることも。
そんな清水さんも、販売者を始めた当初は「最初の10冊が売れなかったら、辞めるつもりだった」という。
「事務所に電話をしたのは、1月12日。そう、確か12日だったけど、その時は1円も持っていなかったし、面接をしたあとすぐに事務所のスタッフと一緒に駒込駅前で売り始めました。10冊すべてが売れて、『これならやっていかれるかな』って。これまで、最高で1日に42冊売りました。順調に売れていれば、食事とかで使っても1週間に1万円ぐらいは貯まりますよ」
無一文でビッグイシューの門戸を叩いた清水さんは、1年ほど前に大阪から上京した。上京当初は、直前まで職人としての仕事を続けていたこともあって、ある程度のお金も持っていた。だが、清水さんの上京は希望に満ちたものではなく、逆に失意に陥ったあげくのものだった。
「大阪で30年ぐらい職人をしていたんだけれども、その間ずっと一緒だった人が2年前に大腸がんで亡くなって……。ショックでした」
栃木に生まれ、九州・岡山で育った清水さんは、20歳の時に職を求めて大阪に出た。その後の大阪生活でずっと世話になる和泉さんとは、仕事も見つからずに難波でぶらぶらしている時に知り合った。島根出身で4歳年上の和泉さんは、同じ中国地方育ちで年も近く、妙に気があった。板前から鉄筋職人に転向した和泉さんに仕事の世話もしてもらい、清水さんは建築現場で職人として働き続けた。和泉さんと一時期は「生活を一緒にしたこともあった」と、清水さんは苦しそうにつぶやいた。清水さんは、父を直腸がん、母を子宮がんで亡くしている。30年もの年月をともに生きた大切な相手を再びがんで失うという経験は、清水さんに大きなショックを与えた。
「道頓堀の川の中に携帯電話を捨てて、誰にも頼らずにやってみようと東京に出てきました。携帯電話を持っていたら、連絡してしまうから」
夜行バスで東京に着いたのは、昨年の10月。「東京なら仕事で何回か来たこともあったし、地理もわかるからどうにかなるだろうと思って」。新宿や八王子など以前訪れたことがある場所で遊んでいるうちに、なけなしのお金も底を突いた。新宿中央公園に居つくようになったのは、12月半ばだった。大切な人を亡くして、1年以上の月日が過ぎていた。人との出会いや絆の大切さを身にしみてわかっている清水さんだからこそ、販売者としてお客さんや仲間との関係性を大切にしている。信頼できる若い友達もできたという。
「お客さんの中には、『よかったら一緒に働くか?』と誘ってくれる人もいます。でも、人の世話になったら迷惑をかけるので、気持ちだけありがたく受け取っています。人に世話してもらって、辞めるわけにはいかないですから」
清水さんは12月16日が、52歳の誕生日。できれば、52歳から新たなスタートを切りたかった。
「ちょっと前までは『今年いっぱいで卒業する』と常連さんに言っていたんだけど、最近は『3月まで延期しました』と言い直しています。アパートが借りられるだけお金が貯まっても、続けて家賃を払っていくにはとにかく就職しないと。お客さんもそれを望んでいると思うし」
売り方からも伝わる清水さんのきちょうめんさと律義さは、その言葉の端々に表れている。お客さんにいい報告ができる日を、誰よりも心待ちにしているのは清水さん自身なのだろう。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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