販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
フィリピン『Jeepney』誌の販売者 アティ・メリー
夢はシンプル、ただただ子どもたちに まっすぐに育って生きていってほしい
フィリピンの『Jeepney(ジープニー)』誌は、今、岐路に立たされている。
07年11月にアメリカ人宣教師夫妻によって立ち上げられたこのストリート・マガジンは現在11人の販売者をかかえる。だが、彼らは定期的に街頭に立って雑誌を販売することができないのだ。これを聞いた時、「なぜ?!」と頭に「?」がたくさん浮かんだ。理由は、フィリピンでは、路上販売が違法となっているためだ。
そうはいっても、マニラの道を数分でも歩くと、何人もの路上行商人を見かける。彼らは、いつ警察に罰金などを言い渡されるかわからないのを覚悟して、路上で商売を営んでいるのだという。
そのため、『Jeepney』誌の販売者さんたちは、イベントがある時にモールでブースを出して販売したり、マニラ市内のインターナショナル・スクールへ出張販売に出かけたりしているのだ。
08年3月から『Jeepney』誌を売り始めたアティ・メリー(46歳)だが、彼女の職歴は12歳の頃から始まる。フィリピンの東部に位置するサマール島出身の彼女は、家庭が貧しく、その困窮から脱するため7歳の時に祖母に連れられてボートで24時間かけて、マニラに出てきた。「でも、マニラでも生活の苦しさは変わらず、一日にご飯を1回しか食べられない日がずっと続いていました」
12歳の頃から路上でバーカー(バスやタクシーなどの客引き)を始めたアティ・メリー。長らくの時を経て05年には、路上行商人として店を構えることになった。初めはキャンディーなどを売っていたが、もうけが少なかったため、徐々に品数を増やし、たばこや水などを売るようになった。
現在は24歳の長女と一緒にこの仕事を続けているアティ・メリーに、彼女の路上の店に連れて行ってもらうと、キャンディー1個1ペソ(約1・9円)、マルボロ1本3ペソ、ボトル入りのアイスティー20ペソなどで売られていた。最近は、携帯電話のプリペイドも扱っており、携帯片手に店に立ち寄る若者の姿も多く見られる。
だが、前述したとおり路上での販売は本来違法。アティ・メリーも何度か警察に検挙され、刑務所に入れられたことがあるという。「刑務所から出してもらう保釈金として『3000ペソ(約5600円)必要だ』と警察に言われたのですが、ソーシャルワーカーが刑務所に迎えに来てくれたとたん、『500ペソでいい』と言われたこともあります」と語るアティ・メリー。横で聞いていた『Jeepney』誌のスタッフ、リアはこう付け加える。「警察は、ただお金がほしいために路上行商人を検挙することがあるんです」
長年の路上行商人の仕事で路上から脱出し、マニラでも家賃が最も安い地区の一つで部屋を間借りできたアティ・メリーだが、それでも家賃が月1500ペソする。またローンもあるため、たとえ定期的に売ることはできなくても、イベントなどで『Jeepney』誌を売るのは、生活を持続させていくのに大きな助けになっていると語る。
「路上行商人の仕事では、24時間働いて純利益は500ペソですが、『Jeepney』誌を売る仕事は5~6時間働いたら1000ペソにはなります。それに、売る場所はモールや学校とクーラーのきいた場所ですから、快適に販売することができますし、そういうきれいな場所に出入りできることがうれしくもあります」
そう語る彼女に、「夢はなんですか?」とたずねてみた。すると、突然彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。あまりにも突然のことに戸惑っていると、アティ・メリーは自分の子どものことを話し始めた。
「私には3人の息子と2人の娘がいます。長男は18歳になりますが、たまに家に寄っては、お金を持って行ってしまいます。たぶんドラッグをしているのでは、といつも不安に思っています。三男は今13歳ですが、シンナーを吸って、ストリート・チルドレンとして生活しています。小学校も出ることができませんでした。路上生活をしていた時に家族がバラバラになってしまったのです。私の夢はとってもシンプルなものです。ただただ、子どもたちにまっすぐに育って生きていってほしいのです」
そう言って彼女は、涙でぬれた頬を拭き、まっすぐにマニラの青い空へと視線を投げかけた。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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