販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
『ビッグイシュー・韓国版』販売者オ・ヒョンスクさん
花をもって 家族に会いに行きたい
09年7月に創刊された『ビッグイシュー・韓国版』は、現在ソウル市内で37人の販売者によって販売されている。毎朝7時になると、永登浦(ヨンドゥン ポ)にあるオフィスに販売者が、ビッグイシューのロゴ入りの赤いキャリーバッグとともに仕入れにやってくる。果物市場で有名な永登浦だが、同時にホームレス人口の多さでも知られている。 販売者のほとんどが50~60代のアジョシ(おじさん)たちだが、20~40代の販売者も2~3割存在する。そのうちの一人が、現在新沙(シンサ)を持ち場としている、オ・ヒョンスクさん(41歳)だ。
新沙といえば、同じ地下鉄3号線にある狎鴎亭(アックジョン)と並んで、おしゃれなカフェやファッションショップが建ち並ぶ地区。ドキドキしながら地下鉄を降り地上に上がると「ビッグイシュー、ビッグイシューイムニダー(ビッグイシューですー)」という呼び声とともに、オさんのさわやかな笑顔が目に飛び込んできた。 「ここで売っているとよく道を聞かれますよ。日本の観光客からも、『カロスキル(新沙の街路樹沿いにあるファッション・スポット)どこですか?』って聞かれることが多いですね」とオさん。この町にすっかり溶け込んでいるようだ。
ちなみに「ビッグイシュー・韓国版」では、「ビッグショップ」という取り組みをしている。これは、長時間持ち場に立ち続ける販売者が、突然の雨などの際に休息をとったりできるよう、場所を提供してくれる店舗などを募るというもの。現在ソウル市内で17のお店や歯医者さんなどが申し出てくれていて、そのうちの一つが新沙にあるカフェだ。今年のソウルは最高気温がマイナスという日も少なくなかったから、オさんにとって、このカフェは命綱のようなものだったという。
オさんがビッグイシューと出合ったのは「2010年8月2日」。しっかりその日にちまで覚えている。場所は、ビッグイシュー・韓国版の事務所のある永登浦で行われている炊き出しだった。そこでビッグイシューのスタッフが販売者勧誘のビラを配っていたのだ。 もともと国際空港のある仁川(インチョン)出身だというオさん。5人きょうだいの真ん中で、乾燥唐辛子を仕入れて、パウダー状にしたものをレストランに納入するという両親の仕事を手伝っていた。
だが、5~6年前、父親が病気になったこともあり、ソウルに仕事を探しに出てきた。しかし職探しは思ったようにうまくいかず、難航。ついには所持金も底をつき、真冬に路上で寝ることになってしまった。
「寒いのと飢えとで、なかなか眠れなかったですね。当時、日雇いに携わっていたのですが、切り立った山の岩にネットをかける作業中、あまり寝ていなかったために足を滑らせてケガをしたりして、常に命の危険を感じていました」
寒さ、飢え、孤独の三重苦に押しつぶされそうだったオさんを助けたのは、友情だった。PCバン(ネットカフェ)で出会ったク・ボンジュンさん(35歳)とは、出会った時から気が合い、不安や喜びを分かち合うのに躊躇を感じなかったとオさんは語る。 そんな二人は、いまや「ビッグイシュー・韓国版」になくてはならない名物販売者だ。10年には、ブラジル・リオデジャネイロで行われた、ホームレス状態の人だけが参加できるフットサル大会「ホームレス・ワールドカップ」に二人とも出場。11戦中1勝10敗だったと笑うが、オさんはドイツ戦で貴重な初ゴールを決めた。
「今まで自分はすぐに物事をあきらめる性格でした。でも、ビッグイシューでフットサルと出合って、少しずつ『あきらめない』ということを学んでいった気がします」 そう語るオさんの横で、オさんをビッグイシューに勧誘したスタッフのキム・ヨンファンさんもうなずく。
今でも週1回フットサルの練習を続けているオさん。ソウルに出てきてから家族と連絡を取ることがなかったが、「今年は6月19日の父の日に、花をもって家族に会いに行きたいですね」と語る。「そして、夢は、いつの日か自分の家族をもつことですね。売り場にもたまに小さな子どもたちが『ファイティン!(がんばって!)』って来てくれるんですよ。うれしいですよね」、そういって、オさんはとびきりの笑顔を見せた
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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