販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

金井昭三さん

心が広くて人情あつい、 温かみのあるお客さんがいる。 雑誌売り始めてから考えが変わった

金井昭三さん

金井昭三さん(56歳)は、JR新宿駅南口で2月頃から販売を始めた。10時頃から売り場に立ち、なぜか、10冊売れたらおしまいにするといったペースで販売しているそうだ。 販売を始めることに不安をもっていた金井さんだが、「世の中は冷たい人がほとんどだなという感覚でいたけど、売り始めてから考えが変わった」という。

「最初に買ってくれた人が3人くらいいて、その人たちがずっと来てくれて、ほんとにありがたい。『がんばってやれよ、風邪ひくなよ』って心配してくれるんだよ。ほんとに心が広くて人情に厚い、温かみのあるお客さんがいるね」 「俺はまるっきり一人。天涯孤独みたいなもんだ」と言う金井さんは、長野で生まれた。小学校4年生から中学3年までは、特別な学校に通っていたそうだが、普通校に転校してからは10人ほどの同級生に囲まれ、学校生活は楽しかったという。

「それまでは俺だけ全然違うことをやってたから、『なんかなー』と考えてたけど。学校が変わって楽になったし、おもしろくなった」 中学を卒業する前から、親の勧めで、ガラス職人の家で見習いを始めた金井さん。ガラスや鏡などを切って枠にはめたりする加工の仕事だ。9年ほど働いた。

その間、22歳の時にガンで母を亡くし、父は1年後に老人ホームに入った。一人っ子の金井さんは、それからずっと一人で生活しているという。 「まあ大変な時は過ぎたでな。おふくろの面倒をみてた時は一番えらかった。少しよくなって退院して、しばらくして家で亡くなったんだけど、最後は耐えきれなかったな。見てるのがつらくて、母に近づかないようにしてた時もあった」

「俺のことは、ほとんどおふくろが面倒みてくれた」と金井さんは言う。「土方仕事をしていたおやじは酒が好きで家によりつかなかったから、あまり親しみがない。遅く帰ってくると、もうパタンと寝てた。おやじと遊んだ覚えはないが、漫画の本を買ってきてくれたことはあったな」 父が施設に入る頃には、軽い脳卒中が原因で、父の半身は思うように動かなくなっていたという。20年近く前、金井さんは、父親がいる施設を一度だけ訪ねたことがある。しかし、話した時間は5分足らず。父はすぐに奥に行ってしまったそうだ。「あっけねえなと思ったけど、本人にしてみたら、あまり長く話すと恋しくなるからってこともあったかもしれない」

家を出たのは23歳の時。2~3年は山梨県の甲府で過ごし、そこで知り合った人から路上での生活の手ほどきを受けたそうだ。その後は東京に移り、建築関係、自衛隊、ペンキ塗装、ガードマン、雑誌の搬入など転々と仕事を変えた。 金井さんは、「飲み友達のつき合い」で、昔はずいぶんアルコールを飲んでいたという。ある時、胃が痛くてたまらず病院に行くと、医師から「飲酒は厳禁。命を落とす危険がある」と告げられた。胃の方は手術ではなく薬で治すことになったが、その時の検査で、てんかんの一歩手前のような状態にあることがわかったのだという。

飲み屋で意識を失ったり、アルコールの臭いで具合が悪くなったりして、一度発作を起こすと1週間はまともに食事ができなくなるという金井さん。「それを考えると飲みたいと思わないから」と、今では一切アルコールを断っている。「最初はうんと苦しかったよ。5~6年の間は。今も飲んでる人がいるところは、避けて通ってる(笑)」 東京に来てからも野宿が多く、10年以上前から腰を痛めているという金井さん。アパートに住んだほうがいいのではと尋ねてみると、「アパートには住みたいけど、受け入れてくれるところがないから」と言う。

というのも、金井さんは猫を1匹飼っているらしい。オス猫で、名前は「ミー」。 「わりと可愛いがられてて、人気もんだ」と話す金井さんはうれしそうだ。7年前、生まれたばかりの子猫が道路脇の植え込みで鳴いているのを見つけ、連れ帰って育てたのだという。

実は金井さんは、ミーの他にも1匹、メス猫を飼っていた。その猫は、通りがかりの人に、どうしてもほしいと言われて譲ったそうだ。「途中まで育てて、別れる時はつらかったけどな」と言う。 「(ミーは)家族といえば家族。ただ屋根がないってだけで」と、しんみりとする金井さん。「猫にとっちゃ、幸せだかどうだか。ちょっとかわいそうな気がしないでもない。俺は一緒にいられるで、いいけどな」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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