販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
小林昭さん
反省ばかりの人生だったから、 少しでも長く街頭に立っていたい。 お客さんとの交流が自分の糧になっている。
JR中央本線の武蔵境駅南口でビッグイシューを販売している小林昭さん(54歳)は、この日初めてこの場所に立った。「人通りは多くないけど、続ければきっとここに根づけると信じてます」と朴訥と話す。自分のことを語るのに慣れていないのか、笑顔は少なめだ。
小林さんは、1年ほど前に販売を始めた。都営新宿線曙橋駅周辺で約10ヵ月の販売を経験した後、ここにやって来た。「バックナンバーの並べ方も立ち方も、試行錯誤の途中」と言う。
小林さんの信条は、朝9時から夜8時まで毎日休みなしで立ち続けること。小雨くらいでは販売はやめない。どしゃ降りの時でも、近辺の屋根の下でやり過ごし、晴れたらすぐに持ち場に戻る。小林さんが、少しでも長い時間街頭に立つのには理由がある。大変な生活の中でビッグイシューに出合ったからだ。
茨城県出身の小林さんは中学卒業後、東京へ。17歳から銀座のディスコの厨房でコックとして働いた。しかし、27歳でそこを辞め、33歳まで都市圏の工場などを転々としたが、どこの職場も長く続かなかった。その時すでに薬物の常習者になっていたのだった。ディスコの時の同僚から「心が落ち着くぞ」と渡され、「やってみると気持ちが穏やかになり、のめりこんだ」。そのうち、毎日薬をするようになった。禁断症状で、街路樹が襲ってくる人に思え、気がついたら木を殴っていたこともあった。借金が増え、薬ほしさに不義理もした。小林さんは、とうとう薬物を絶つ施設に入所することとなる。
施設から出て薬と決別してからも、メッキ工場や蛍光灯、ワープロの工場など「覚えていないくらい」多数の仕事に就くが、どれもやはり長くは続かなかった。「人づき合いが苦手だからね。周りと仲よくできない。年下の人に仕事を教えてもらっても、偉そうに言われるとムッとしてすぐ辞めちゃったりね」と述懐する。
それに加え、親しい友人もできず、その日暮らし。50歳を過ぎてから仕事は急激になくなり、ホームレス状態になった。そのような時に、大久保で知り合った仲間からビッグイシューの存在を知らされ、「仕事ができる、助かった」と思ったそうだ。「だから、今度は真剣にやらないと。今までの人生を反省する日々だし、これで終わる一生なんて情けないから」と心情を語る。
小林さんは、ビッグイシューの販売はできる限り長くやっていきたいそうだ。お客さんとの会話が、自分の「大事な部分」になっていると気づき始めたからという。
「『がんばれ』とか『応援するから負けないで』という温かい言葉をかけてくれたり、中には、悩みまで相談してくれる方もいて、そういう交流がすごく自分の糧になっている」
小林さんの意識も変わってきた。お客さんと接する手前、服装や清潔感にこだわるようになった。「お客さまがいるからこそ、私らがやっていける」と感謝の日々だ。ただ、小林さんには「立っているだけでもキツい」と思う時が度々ある。長年の薬物摂取で脊椎が溶け、代わりに手術で入れたプラスチックで背骨を支えているため、自然に立っているのが難しいのだ。しかし、小林さんは、真夏でも日の当たる場所で立つのを止めない。「お客さまからは『そんな所じゃなく、日陰で売りなよ』と言ってもらえますが、相手だって炎天下に買いに来てくれているのに、自分だけが涼しい所にはいられないよ」とほほ笑む。
小林さんには夢がある。「親方」の販売数を追い抜くことだ。「親方」とは、小林さんにとって師匠のような存在の、年下のビッグイシュー販売者。「親方」は1日30冊くらい売るベテランで、販売業務を一から教えてくれた人だ。その「親方」のレベルまで売り上げを伸ばし、ゆくゆくは路上から抜け出るのが目標だ。
この取材日は、たまたま小林さんの誕生日だった。「おめでとう」を言うと、「ハイ!」とその時一番の笑顔を見せてくれた。その後で「これからは、一歩一歩確実に人生を進んでいきたいですね。『黙々とやっていれば、いつかかなう時が来るよ』と、お客さんが言ってくれたんです」とまた笑顔を見せた。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている BIG ISSUE
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特集日本、若者に住宅がない