販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

池田和政さん

アパートを借りるという夢と、販売者としての誇りを持って、毎日街角に立ち続けているんだ

池田和政さん

背には大阪高島屋、眼前にはマルイという、大阪・ミナミでも特に多くの人が行き交う歩道の一角でビッグイシューを販売している池田和政さん(64歳)。「今日も寒いねえ」「お疲れさま。風邪ひいてないかい?」と、チラシ配りのアルバイト学生や、近くのビルの警備員など、この場所ですっかり顔見知りとなった人たちと明るく挨拶を交わすのも日課の一つ。穏やかで話し好き、気さくな人柄の池田さんだけに、この場所でさまざまな人間関係を築いているのだろう。「この場所に着いたら、まずは掃き掃除から始めているよ。1日3回は掃除しているかな。きれいなほうが仕事にも身が入るからね」
休日には大勢の観光客がやって来る場所でもあり、道を尋ねられることも多いという。尋ねられた際にきちんと答えられるよう、有名な建物や目標物は一通り頭の中に入れている。「この場所はいろんな人が通るから本当に楽しいよ。高校生から年配の方まで世代も幅広いし、国内からだけではなく海外からの観光客も多いんだ。以前、イギリスからの旅行者に道を聞かれたんだけど、イギリスはビッグイシューの発祥地。僕が販売員であることを理解してくれ、お礼の後に1冊買っていってくれたことがあってうれしかったなあ。それに、高校生が少ないおこづかいの中から1冊買ってくれたときには、帰りの電車賃があるのか心配したもんだけど『大丈夫、心配しないで』って笑顔で言ってくれてね。感激したよ」

池田さんがビッグイシューの販売者となったのは05年9月のこと、当時、アルミ缶を集めて生計を立てていた池田さんに、先輩販売者がビッグイシューのことを教えてくれたのがきっかけだった。
「すぐに返事はせず、1週間ほどじっくり考えた。その先輩は『売れる日もあれば売れない日もある』とはっきり言ってくれたからこそ覚悟ができて、挑戦してみようという気持ちになれた」
当初の販売場所は堺筋本町だったが、事情があって一度ビッグイシューを離れ、08年5月に販売を再開、難波へ移った。すでに難波での販売歴の方が長いが、堺筋本町時代に出会ったお客さんのことが今も心から離れないのだそうだ。「販売者となって最初のお客さんだったからね。今でもときどき思い出しては心の中でありがとうって言っているんだ」
北海道生まれの東北育ち。7人兄弟の2番目で、外を走り回るのが好きな、明るくて活発な子どもだったという。中学卒業後は就職のため上京し、しばらく工場で働いていた。その後は建設現場での土木作業員を中心に職をいくつか変え、離婚を経て、30代前半の頃に大阪へ。おもに有期雇用の土木作業員や警備員の仕事などをしていたが、バブルの崩壊とともに仕事がガクンと減っていった。そして10年ほど前にアパートの家賃を払えなくなってしまった。「景気のいい頃は収入も充分にあったけれど、お酒やギャンブルに使ってしまった。きちんと貯金していれば…と悔やむこともあるけれど、これまでの人生を社会勉強と考えて前を向いて頑張っていくしかない。頑張ることでしかチャンスは生まれない。だから私は今、誇りと夢を持ってビッグイシューを売っている。嫌なことがあっても腹は立てずに横にして、何ごともなく一日が終わることに感謝をして毎日を過ごしているんだ」

販売の傾向を把握するためにとっているというメモを見せてもらうと、そこには性別や時間帯別に売り上げが細かく丁寧に記されていた。また、その日の販売で得たお金は、売り上げた冊数×140円を次の仕入れ用としてすぐに分けて取っておく。そして、残ったお金だけでご飯やタバコを買うことにしているそうだ。こうすると、仕入れ用の資金をうっかりと使ってしまうこともないという。
池田さんと話していると、「感謝」という言葉がたびたび出てきた。
「よく言われることだけど、『人』という字は支えあって成り立っているよね。お客さんやビッグイシューのスタッフをはじめ、多くの人が支えてくれることに本当に感謝しているんだ。お客さんからの励ましの言葉は、何よりの薬になっているよ」
休むのは、台風や大雨などの荒天時だけ。それ以外の日は暑くても寒くても、日曜日でも祝日でも街角に立ち続けるという池田さん。
「目標は、お金を貯めてアパートを借りて、もう一度自分の城を持つこと。そして、職種は問わないから、仕事に就いてしっかり働くこと」
夢と誇りを持つ人の言葉はとっても力強く聞こえた。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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