販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

広瀬高義さん

街の風景に溶け込み目立たないけれど、 なくてはならない存在、そんなふうになれたらいい。

広瀬高義さん

東京・表参道の交差点で販売を続ける広瀬高義さん(44歳)。ブランドショップやブティックが立ち並ぶ交差点には、若者、ビジネスマン、女子高生、主婦、外国人など、さまざまな人々が行き交う。

「実は"出戻り"なんですよ。一年半くらい前に渋谷で販売してたんだけど、本職の溶接の仕事が入ったもんだから、ビッグイシューはそのままになっちゃって……。その仕事が終わってまた公園で暮らしてたら、偶然、ビッグイシューのスタッフに会ったんですよ。『またやりませんか』って誘われたけど、渋谷ではあんまり売れなかったから戻る気はなかったんですけどね。でもあんまり熱心に勧められたもんで断れなくなっちゃって、それでもう一度やってみることにしたんですよ」  どうやら、断れない性格らしい。

"出戻り"後は、東京・高円寺で販売を続けたが、思うように売れなかったため、スタッフに売り場変更を提案。表参道の交差点に移ってきた。

「おかげさまでこの場所に来てからは売り上げがいいんです。いつも買いに来てくださる常連さんもできました。顔見知りになったお客様が交差点を通るたびに、声をかけてくれたりする。『最近あったかくなったね』とか『今年の桜は早いみたいだよ』とか、そんなちょっとしたやりとりが元気の源になっているんですよ」

広瀬さんは東京・杉並に三人兄弟の長男として生まれた。子どものころは身体が弱く、病気がちで、学校を休むことが多かったという。そんな弱さを克服しようと広瀬さんは高校卒業後、陸上自衛隊へ入隊する。

「厳しい訓練のおかげで、身体も丈夫になって、ずいぶんたくましくなりました。横須賀、北海道と駐屯し、そのまま勤め上げることも考えたんですが、自衛隊の昇進試験がどうしてもダメで辞めました」

その後、広瀬さんは東京に戻り工場に勤務。ビル建設の際に使われる鉄板などを作る溶接の仕事に従事する。それから10年、資格を取り、ベテラン溶接工になった広瀬さんに不運が訪れる。長年勤めてきた会社が倒産してしまったのだ。

バブル崩壊によるゼネコン不況、溶接作業の機械化、工場の海外移転など、さまざまな要因が重なり、せっかく培った広瀬さんの技術を生かせる場所はどんどん減っていった。短期の現場を見つけては住み込みで働き、その期間が修了するとまた新しい現場へ移る。しかし、仕事は日に日に減っていき、家賃が払えなくなり、最後は路上へ。

「溶接の仕事でやっていくつもりだったのに、完全に予定が狂ってしまいました。短期の仕事は時々あるけど、条件のいいものは体力のある若手にいってしまう。厳しいよなぁ」

そんな広瀬さん、溶接工時代から変わらない趣味がある。それは映画鑑賞。会社が倒産し、生活が厳しくなっても、映画代だけは何とか捻出してきたという。

「それが今、ビッグイシューを売る時、役に立っているんです。ビッグイシューの表紙は映画スターが多いからね。もちろん記事も毎号欠かさず読んでますよ」

最近では、bump of chickenやセリーヌ・ディオンなどのライブ会場周辺での販売などにも積極的にかかわっている。

「販売員が意見を出していくことで、もっともっといろんなことができるはず。お客様のナマの声を耳にできるのは販売員だけ。それを生かし、新しいことにもどんどんチャレンジしていきたいですね」

出戻って三ヶ月。前回とは違った手ごたえを広瀬さんは感じつつあるという。

「最近、『ビッグイシューいりませんか?』って大きな声を出しても売れるもんじゃないってことに気づきました。逆にそれで引かれちゃうこともある。僕の立ってる交差点にはいつもいろんな人が立ってフリーペーパーとか、試供品とか、いろんなものを配っています。だから声を出してもかき消されちゃうし、そのことに気を取られてると、周囲を観察できなくてお客さんを逃しちゃう。自分の存在を知らせる意味で、声は時々出したほうがいいけど、知っているお客さんはそっと近づいてきて買ってくれる。だから僕は一歩下がったところに立って街と同化するようにしているんです。カメレオンみたいにね。街の風景に溶け込んでるから目立たないけれど、なくてはならない存在、そんなふうになれたらいいなって思っているんですよ」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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