販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
田中英次さん
人生で今が一番。 だから、死ぬまで覚悟してるの、ここで売り続けるって
ビッグイシューとの出会いは、半年前。人に誘われて托鉢をしている時、テレビのドキュメンタリーを見たのが最初だった。全国を転々と托鉢して回っていたため、今でもどこでテレビを見たのか思い出せない。だが、その時に感じた胸の高鳴りは、クリアに思い出せる。
「なんか、すごく感動してね。何に感動したんだろう?托鉢とは違うなって思ったのかな?」
京都の四条通りと河原町通りの交差点に立つ田中英次さん。彼はそう言ってしばらく考え込んだ。
「ほら、托鉢は自分から1軒1軒回って、お経上げて、お金もらってそれで終わり。会話もない。でも、ビッグイシューは向こうから寄ってきてくれるじゃない、お客さんが。それで頑張ってとか、声もかけてもらえる。励みになるし、勇気出るよね」
田中さんは、福井県生まれ。故郷は、冬になると、ただしんしんと雪が降り積もるようなところだった。「いつも家の屋根でスキーができるぐらい積もってた」と振り返る。中学卒業と同時に、田中さんはそんな故郷を後にする。
以来、日本全国を転々とし、今となっては思い出せないほど多くの仕事を経験した。パチンコ店員、建築関連の肉体仕事はもちろん、北海道を旅した時は所持金を盗まれて牧場で牛の世話をし、漁港のある町ではカツオ船にも乗った。東京で鳶職についた時は、日本のみならず台湾や韓国まで行って働いた。
「とにかく長続きしないの、僕は。喧嘩で仕事を辞めたこともあるけど、なんか囲われた感じがするでしょ。建築現場なんかはそうだけど、一つの場所にいると、外に出たくなるの、放浪癖もあって」
そんな定住しない生活の中で、田中さんは「警察のお世話になったことも…」と打ち明ける。「刑務所に入っていたこともあるし。ほんと、親を泣かせっぱなし。田舎に帰る時は、近所の人に見られないように、いつも夜にこっそりと帰る。でも、家族持ちの兄弟とは、もう30年近く会ってない」
ずっと人を避けるように生きてきた。故郷に帰れない過去もある。そんな田中さんだからこそ、ビッグイシューとの出会いは、自分の何かを変える大きな出来事だった。
「初めは大阪で売ってたんだけど、ぜんぜん売れなかった。で、辞めようかなとも思ったんだけど、スタッフの助言で京都に来たの。そしたら、よく売れて。いろいろアドバイスしてくれる先輩の大川さんも同郷だとわかって、お客さんにも同僚にも恵まれて、ほんと京都に来てよかったなと思って」
田中さんにとって、京都の地は中学卒業後に最初に訪れて、働き、住んだ街でもあった。故郷を出て、ほぼ半世紀近く。それは、何かの物事がクルリと一周してきたような不思議な因縁だった。
ビッグイシューとの出会い、京都との再会を少し興奮ぎみに話しながら、田中さんは「販売の工夫もいろいろしている」と言う。大学への出張販売、阪神タイガースで全身を固めた目立つ格好での販売。今度は、新撰組の格好をしてみようかと考えている。
「今まではアカンかったけど、今は人生の中で一番楽しいの。ほんと、朗らかになったよ。そこが、一番、自分が変わったとこ。だから、あと何年できるかわからないけど、死ぬまで覚悟してる。ずっとこの四つ角でビッグイシュー売り続けるって」
62年の人生で一度もできなかった貯金も始めた。今度の正月には、母親に会いに帰省しようかと考えている。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている BIG ISSUE
41 号(2005/12/15発売) SOLD OUT
特集日常窯変(ようへん)、パーティ力(りょく)