販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
米国、『デンバー・ボイス』販売者 シンシア・エリントン
アルコール依存の弟のため、コロラド州に戻ってきた。 いつかダンスの先生に復帰し、詩を書きたい
インタビューの日の朝、シンシア・エリントンはシェルターのベッドで目覚めた。そしてシャワーを浴びるため、合計1時間も列に並んだ。タオルを受け取るための列、浴用タオルの列、ヘアアイロンの列、そして化粧台の列……。
「ここでは、すべてのことに順番を待つんです。今朝は、間違ってコンディショナーを2個受け取ったので、シャンプーをもらうために並び直さなくてはいけませんでした」。ようやく身支度を済ませた後、徒歩で25分かけてストリート紙『デンバー・ボイス』の事務所に到着した。
シンシアはもともと才能と情熱あるダンサーで、ホームレス状態になった弟を助けるために、コロラド州デンバーに戻ってきた。人生の舞台がダンス・ステージから路上へと移った今も、彼女は星のようにきらめく微笑みを見せる。美しい女性なのだ。
シンシアが生まれ育ったのは、コロラド州第2の都市コロラド・スプリングス。高校卒業後、彼女は地元のフレッド・アステア・ダンス・スタジオでキャリアをスタートさせた。「レッスンの講師にステージダンサー、何でもやりました。深夜1時まで踊り、翌朝また仕事をする。チャチャを踊りながら目が覚める。そんな日々でした」
そしてスタジオに通っていた生徒の一人と結婚。軍人だった夫に連れ立って、テキサス州コーパスクリスティに移り住んだ。
しばらくの間、テキサスでヘルスクラブのマネジメントの仕事をしていたが、ダンサーの彼女は、新しい刺激を求めていた。ワシントンD.C.へ旅をし、さらにメイン州に移り、離婚しシングルマザーになって、二人の娘を育てた。9年間住んだワイオミング州ジャクソンホールでは、サルサとタンゴの先生をしていた。「私は本質的に、流浪者なんです。山と海を行ったり来たりするのが私の人生です」
家族への愛、夢と現実の間で何度も葛藤したシンシアだが、彼女はその身体におさまりきらないほど大きな心を持っていた。メイン州ポートランドに住んでいた時は、狭いアパートに旅行中だったダンサーのカップルを4組泊めたこともあるという。二人の娘も、母親の人助けの精神を受け継いだ。長女のオーブリーは教育関係の仕事に就いており、次女のミランダは医療の道に進んで、今は南アフリカの貧困地域で活動している。ミランダはまだ専門分野を決めていないが、救急医療を選ぶのではないかとシンシアは思っている。
そんな彼女がデンバーに戻ってきたのは、7ヵ月前のこと。何十年もアルコール依存症を患っている彼女の弟がホームレス状態に陥っており、あなたに助けてほしいと姉から連絡があったのだ。
弟は才能あるシェフで、ニューヨークのレストランで総料理長を務めたこともある。「それでも、人はすべてを失い路上に出ることもあるんです」とシンシアは言う。彼は今、依存症の治療プログラムを受けている。
「私は弟の回復を一度も疑ったことがありません」と、シンシアは言いながら目に涙を浮かべた。「みんなが彼を疑っているけれど、人から望みをかけられないことで、いかに多くの人たちが希望を失うことか」
デンバーで仕事が見つからず、生活が苦しくなったシンシアは、別の販売者に勧められて『デンバー・ボイス』の販売者に登録した。「素晴らしい人たちに出会いました。この街の路上に、一つの大きな家族があるようです。これまで知らなかった、人生の新たな側面を体験しています」
シンシアにとって、日々困難の連続だが、それでも未来への希望を持ち続けている。ダンスの先生に復帰し、詩を書くという夢だ。「この街に来たのは弟のためでしたが、今、たどるべき道の途上にいると感じています。私には今、怒りも、懸念もありません。ただ、たくさんの共感と感動にあふれた毎日なのです」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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