販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
石塚三男さん
まずは販売部数を伸ばすのが目標。 でも将来は、社会復帰して家を持ちたい。頑張らなきゃね
「世界のビッグイシューいかがですか? 各国のメディアで報道されているビッグイシューはいかがですか?」。東京は表参道、有名ブランドのショップが立ち並ぶこの街の一角で、笑顔を絶やさずビッグイシューを売り続けるのは石塚三男さん(48歳)。
「お暑いなか、ありがとうございます」、「お釣りですね。少々お待ちください」。お客さんに人懐こい顔を向け、手際よくやりとりをした後は、「ありがとうございます。お気をつけてお帰り下さい」と深々と頭を下げる。その礼儀正しさと慣れた接客風景に、ベテランベンダーかと思いきや、始めたのは今年7月からだというから驚きだ。
「もともと接客好きなんです。いろいろな人と話すのが楽しいし、子どもなら、表紙のキャラクターに合わせて声色を変えたりしてね。それを喜んでくれる顔がたまらないですよ。他にも、ここで立っていると、表参道という土地柄、外国人に道を聞かれることも多いんですよ」
というのも、近くのチラシ配りの若者たちとも顔見知りとなり、彼・彼女らの間では、語学の達人としてちょっとした有名人だからだ。外国人に道を聞かれて困ると、みんなが『あの人に聞いて』と石塚さんに振る。ちなみに話せるのは英語にスペイン語、韓国語に中国語など全部で9ヵ国語だ。
「俺ね、みんなから天才って言われちゃうの」。そう言って笑い、ペロッと舌を出す石塚さん。高校は超有名進学校の出身で、所持する資格は、ソムリエや栄養士、小型船舶2級など、全15種類。武道にも秀で、剣道や空手、少林寺などで有段者だという。あっけに取られていると、石塚さんが、「ね、天才でしょ?」、そう言って、またペロッと舌を出して笑った。
「でもね、勉強もスポーツもできたんだけど、やんちゃだったんですよ。12歳のときに暴走族を創立して、そちらの世界で名が売れちゃった。で、20歳のときに中国料理店のオーナーをやっていました。銀座で割烹料理屋の板長もしていました」
その後、裏社会で生き続けた石塚さん。しかし数年前、彼の人生を変える事件が起こった。
「ちょっとしたケンカが原因で、しばらく罪を償うことになりまして。社会復帰を機に足を洗ったんですが、携帯が止まってしまって、知り合いの行方もわからず、行き場がなくてね…」
それが、石塚さんのホームレス人生の始まり。でも、明るく世話好きな性格のため、どこでもすぐに友人ができ、次第にホームレスの仲間うちでも頼れる兄貴的存在になっていった。
「ホームレスってね、上司も部下もいないから、自由で縛られない。いい暮らしですよ」
そう言いながら、仲間とのエピソードを語る石塚さんは、本当に楽しそうだ。まるで現状に満足しているような錯覚を覚える。そこで、「ホームレスになった時、本当はどう感じたんですか?」と聞いてみた。
その瞬間、石塚さんのおしゃべりがピタっと止まり、しばらくして、小さな声でひと言つぶやいた。「情けなかったよ」、と。そして再び、しばしの沈黙。しかし、次に口を開けたとき、石塚さんの顔は、また元の明るい表情に戻っていた。
「でもね、この販売の仕事を始めてから、安定して食べられるようになったし、体重も増えた。みんなに顔色もよくなったって言われるんですよ。それに何よりも生きていて楽しい」
そんな石塚さんのこれまでの1日の最高販売部数は20冊。
「実はさ、後輩ですごく売っている人がいるんですよ。最高記録は63冊! 前は『石塚さん、タバコ1本ください…』なんて言っていたのにね。こないだ会ったら、『土用の丑の日だから、一番安い鰻を食べてきました』って。いくらか聞いたら1200円!わざわざ『一番安い』と強調しなくてもいいでしょ(笑)。もぅ悔しくってさ。俺、負けず嫌いだから、絶対、もっと売れるよう研究しますよ。まずは30冊を目標に、着実に売り上げを伸ばしたいですね」
では、もっと先の目標は?
「携帯電話の契約。そうしたら、仕事もどんどん入ると思います」
そう言って石塚さんが袋から大切そうに取り出したのは、もう何年も前の型の携帯電話。
「ホームレスって、いろんな人がいるけど、みんな仲良し。だから、ここでつくった友だちと別れたくない。でも、そんなこと、いつまでも言ってちゃいけないんですよね。早く社会の一員に戻って、ゆくゆくは自分の家を持たないと」
そうしんみりと語った後、石塚さんは、また舌をペロッと出し、笑顔でこう言った。
「だから、頑張らなきゃね!」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている BIG ISSUE
103 号(2008/09/15発売) SOLD OUT
特集FLY TO THE MOON。月に行く日