販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
酒井三男さん
自分を変えるきっかけになったビッグイシュー。自分のアパートを借り、60歳になったらシルバー向けの仕事につきたい
酒井三男さん(57歳)は、昨年4月から、東京・飯田橋駅東口前の交差点でビッグイシューの販売を始めた。 販売初日から夕方4時前に20冊を完売。その後も順調に販売を続けていたが、6月末に結核で緊急入院することになった。新宿区の保護下で治療・回復し、復帰できたのは12月に入ってからだ。
「身体がだるくて眠れない日が続いて、病院に行ったら即入院。突然休んじゃったんで、退院してもう一度この場所に立ったときは不安でした。だけど、お客さんは何も言わずにそのまんま受け入れてくれて。忘れないでいてくれたんですよ」
群馬県出身の酒井さん。家業は農業で5人兄弟の末っ子。「子どもの頃から貧乏」だったという。朝から晩まで酒ばかり飲んでいた父は、交通事故に遭って寝たきりになり、10年ほど前に亡くなった。母親と同居している兄は父親同様の酒飲み。兄と喧嘩になるのが嫌で、実家にはもう5年以上帰っていない。
19歳で陸上自衛隊に入隊し、4年半を北海道・遠軽、2年を東京・練馬の駐屯地で過ごす。遠軽ではスキー、練馬ではマラソンに明け暮れた。隊員たちの食事をつくる仕事がおもしろく、自衛隊を辞めた後はある食堂の厨房で働いたが、人間関係がもとで辞めた。
「それからもう、だめになったんですよ。全然。でもそれはちょっと…」と、ここでの嫌な思い出は今も話したくないという。しばらくして、履歴書を持って面接に行ったりもしたが、仕事は見つからない。28歳だった。
やがて建築関係の仕事を単発で請け始め、以降、仕事のあるときは飯場(食事・宿泊所付建設現場)、そうでないときは野宿という半路上生活を続けて30年が経つ。土木作業や足場を組む仕事は重労働で、40歳を過ぎて腰を痛めてからは、看板持ちなどをして日銭を稼いできた。
「あまりいい思いはしてこなかったですね」という酒井さんに転機をもたらしたのは、ある人との出会いだった。野宿生活者の自立を支援するNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」理事長の稲葉剛さん。センターは飯田橋にあり、毎日のように顏を合わせている常連客の1人だ。
酒井さんは、退院後しばらくして「もやい」のはからいで宿泊施設に短期間滞在した。
それまでは片足を引きずるように歩いていたのに、ふとんで寝るようになって普通に歩けるようになったという。以前は、連夜まんが喫茶で過ごしていたため、脊髄の狭窄症が悪化して、足の痛みにつながっていたらしい。
「稲葉さんには前から、何かあったら相談に来てくださいと言われてたんです。ビッグイシューのスタッフの人たちも身体のことを心配して、相談に行くように勧めてくれて」
このことをきっかけに、3月初めに区役所にも相談に行き、販売収入を申請した上で、一部行政支援(生活保護)を受けられるようになった。住む場所も紹介され、相部屋ながら屋根のある家での生活を始めている。
もう1人、酒井さんに影響を与えた人がいる。ビッグイシューの仲間で、吉田さん。交通事故の後遺症があったが、正確な死因は分からないまま、2月1日に路上で亡くなった。
「いまもショックは抜けていません。寂しくなりましたよ」
同年代で、明るい人だった。1人でいるほうが気楽でいいという2人は気が合い、ビッグイシューの事務所で顏を合わせると、「おう」と声をかけ、一緒に帰る。そんな距離感が心地よかった。
「吉田さんも体の具合がよくなかったんで、役所に行くとか、何か手を打っていれば助かってたと思うんだけど、周りがいくら言っても耳を貸さなくて…。前にいくつかの役所で断られて、その対応が相当ひどかったらしくて、役所は信用できないって、頑として行かなかった。こんなことはもう、二度と起こってほしくないですよ。」その吉田さんの遺骨はまだ引き取り手がない。
後に残された酒井さんの状況は、ずいぶんと変わった。収入は安定し始め、路上生活は脱出、販売の仲間もできた。また、「お金を貯めて自分のアパートを借りたい。60歳になったらシルバー向けの仕事に就こうかとも考えてます」と言う。
「ビッグイシューの販売を始めてよかったですよ。これまでの自分を変えるきっかけになったと思います。今が一番いいときなんじゃないかな。お客さんやビッグイシューの人たちにはものすごく感謝してるんです。直接言うのは苦手なので、何も言わないけれど…」 謙虚な酒井さんは「今が一番だ」と言うけれど、これからもっと、もっとよくなっていくに違いない。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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