販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
青木一男さん
月見草みたいな花がいつか咲くと信じているんだ
再開発工事が続く大阪市・阿倍野の一角、地下鉄天王寺駅12番出口付近でビッグイシューを販売している青木一男さん(42歳)。
「以前はなかった工事のフェンスが目の前に現れて、販売場所がわかりにくくなってしまったんですが、お客さんがわざわざ僕を探して買ってくれるんです。ありがたいですね」
4月中旬から販売者となり、数日休んだ以外はほぼ毎日この場所に立ち続けている。おっとりとしていて、にこやか。そんな親しみやすさからか、常連さんも月を追うごとに増えているそうだ。
青木さんは、群馬県沼田市の出身。6人きょうだいの2番目で、どちらかというと無口でおとなしい子どもだったという。
「家にはお金がなくて、給食費を滞納して職員室に呼ばれたこともあったなあ。両親は仲が悪くて、いつもケンカをしていたので、とにかく早く家を出たいと考えていましたね」
そんな思いもあり、中学卒業後は進学よりも就職することを選択。パン作りに興味があったので、地元のパン屋で職人見習いとして働くことにした。しばらくすると実家を出て、アパートを借りて一人暮らしも始めた。親から離れたいという気持ちは強く、実家にはほとんど連絡することもなかったという。
「希望して就いた仕事だったんですが、パン職人は器用さが必要な仕事。続けているうちに僕には向いていないと自覚して、4年勤めたのですが辞めることにしたんです」
19歳のとき、やはり高校は卒業しておいたほうがいいと考え、定時制高校に入学。これも両親には連絡せず、自分ひとりで考えて決めた。
「朝9時から夕方5時まで市内の中学校で事務の仕事をして、それから学校へ通っていました。途中で何度も辞めたいと思ったけれど、なんとか通い続けて卒業しました。でも、高校にはあまり良い印象がなくて、卒業証書を手にしてもあまり感動はなかったなあ」
事務の仕事は定時制高校の在学生にのみ斡旋される仕事だったため、卒業後は別の就職先を探すことに。数少ない求人の中から、条件が良かった市内のパチンコ店で働くことにしたが、体力的・精神的に負担が大きい職場だったため、1年半で退職した。
「小さな町だから仕事自体も少なくて・・・。東京なら仕事がたくさんあるだろうと、思い切って上京しました。そうしたら池袋西口公園で手配師に声をかけられて、それがきっかけで土木作業の仕事に携わることになったんです。15日間の契約や1ヵ月の契約など、非常に短期の契約ばかりだったけれど、その頃は仕事がたくさんあって困らなかった。名古屋や静岡など遠方への出張も多かったなあ」
しかし不況の影が忍び寄り、仕事も思うように回ってこなくなり、約5年前に「情の町」だと感じていた大阪・西成へ。しかし、ここで百年に一度といわれる大不況に見舞われ、まったく仕事がなくなってしまう。そんな時、ビッグイシューのチラシを見かけ、電話をするより前に、事務所を目指して自転車を走らせた。そしてその翌日から、先輩販売者について研修をスタート、販売者として街角に立つ日々が始まった。
「今はとにかく、お客さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。以前、1冊渡したつもりが間違えて2冊渡してしまったことがあったんですが、後日『もう1冊は友だちに売っておいたよ』と300円を持ってきてくれた人もいて…。バックナンバーの注文も時々いただくんですが、必要とされている気がしてうれしくなります」
いつもお客さんに助けてもらっている、そんな思いがずっと心を離れないという。
「これまでの人生はろくなものじゃなかったけど、いつか花開くと信じて前に進む気持ちは持っていたい。花といっても、僕が思い描いているのは月見草みたいな花だけど」
そう言ってにっこり笑う青木さんは、しばらくは販売者として頑張り、近い将来にヘルパーの資格を取って介護の仕事に就くのが目標だ。
「今はまだ修行のつもり。1年後には自分を褒めてあげられるよう、販売者として精一杯がんばりたい。そしていつか、お客さんとしてビッグイシューを買いたいですね」
工事が終わる数年後には、月見草が美しい花を咲かせている。そんな光景が目に浮かんだ。
※取材後、この8月から青木さんが介護ヘルパーの仕事に就かれました。お客さまにお礼を申し上げたい、とのことです。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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