販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
高橋雪春さん
今度は俺が、お世話になった人に千羽鶴を渡したい お金を貯めてアパートで暮らし、仕事を見つけることが目標
新宿西口・京王百貨店前で8月下旬から販売しているのは、スーツ姿がトレードマークの高橋雪春さん(22歳)。
「こうして立っていても、相手にされないことが続くと正直言ってつらい。お客さんの“ありがとう” “がんばってね”という声が励みになります」
コンビニの店員や、工場、引っ越しの作業員、警備員などを経験してきた高橋さんは、「ビッグイシューは直接お客さんの顔を見て話せるところがいいですね」と、目を細めてニコニコ笑う。
高橋さんは、3人兄弟の末っ子。厳格な父と、その父に従順な母。「子どもは親を選べないけど、親は子どもを兄弟の中から選べるんですよね」と、こぼす高橋さん。成長するにつれ、家族の誰にも「わかってもらえない」という思いが強くなっていった。特に、父との関係は「いろいろありすぎて、言葉にすることができない」と言う。
子ども時代は「小中高と、いじめられてました」と高橋さん。小学校1年生の時に網膜剥離になり、左目を失明した高橋さんは、その直後からいじめを受けるようになった。
「目の手術を受けたあと、関東地方に転校したんです。そしたら、左目が見えないから“一つ目小僧”とか言われて」
わけもなく無視され、仲間はずれにされる。いじめが恒常的になっていく中で、傷つくよりも投げやりな気持ちになっていったという。「つらかったですね。でも、そのうちに“この人は今、自分をいじめたい気分なんだな”って、それだけ思うようになりました」
高橋さんの「正当防衛」が始まったのは、高学年になった頃から。小・中学校で体操選手として練習を積むうちに筋肉がつき、身長も中2の頃には170センチを超えていた。「やられたらやり返す」「黙ってやられているほうも悪い」と話す高橋さんの顔からは、いつしか笑みが消えている。
地元の農業大学校に入学した高橋さんは2年間、畜産の勉強をした。卒業後、JA(農協)に就職したが、勤めたのは約半年。免許を取るためにさまざまなアルバイトをした高橋さんだったが、スクーターで事故に遭ったことがJAを辞める1つの原因になった。大事な研修期間中に長期休暇をとることになり、働く意欲は急速にしぼんでいった。
「自分は、2回死んでます」と言う高橋さんは、睡眠改善薬の服用と飲酒によって、幻覚症状に陥ったことがある。最初は大学校を卒業間近にした年明け早々、2度目はJAを辞める直前だ。「心が乱れて、どうしていいかわからなくなった」。高橋さんはJAを辞め、アルバイトで通い慣れた東京を目指した。
働く気力のない状態で、食べるものがなく「餓死寸前」のところをホームレスの1人が救ってくれた。弁当を分けてくれたのだ。「何で自分みたいなのに弁当をくれたりするのかなって、涙を流しながら食べた」と言う高橋さん。いったんは親に連れ帰られたが、今年7月になって、また家族に黙って東京へ。今度は、覚悟しての家出だった。
「仕事を辞めて行方不明になり、パチンコ依存症になって人から100万円借りたりもした。ずいぶん家族を裏切ってしまったから、これで最後にするために家を出たんです。これ以上迷惑をかけるくらいなら、いっそのこと自分は消えたほうがいいのかなって……だけど、心の奥底には“いなくなって、困っているに違いない。いい気味だ”と思っている自分もいるんです。どちらも半分ずつ。自分も悪いし、相手も悪い。だって、逃げたくもなりますよ。自分のせいで、母親が頭を叩かれたりしているのを目の前で見せられたら」
家族と離れて数ヵ月、高橋さんは今の生活に手応えを感じ始めている。
「ビッグイシューは、人に押しつけられたものじゃない。自分から始めたことだから、続けていける。それから、自分と同じ現状にあるホームレスの人たちは、同じ目線で話してくれる。常に上から物を言う自分の父親とは違うんです」
高橋さんの一番の思い出は、左目の手術をする前にクラスのみんなが千羽鶴を折ってくれたことだという。「今度は自分が、お世話になった人に千羽鶴を渡したいと思ってるんです」と、ニコニコが戻ってきた。「以前の自分は、ほんと近寄り難い感じだったと思うんですよ。でも今は、つらい時でも、こうして笑ってます」
お金を貯めてアパートで暮らし、仕事を見つけることが高橋さんの目下の目標だ。この日は、高橋さんが“脱パチンコ宣言”をしてから、ちょうど2週間。本人のがんばりと、多くの人の支えによって、この記録を3ヵ月、半年……と、伸ばしていけると信じている。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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