販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
秋一さん
離れ離れになってしまったけど、心はいつも家族とともに
高田馬場駅で販売を続ける秋一さん(仮名、45歳)。ビッグイシュー販売を始めて半年が経つ。「OLさんや専門学校生、サラリーマンなどがよく買いに来てくれます。お客さんとのちょっとしたおしゃべりが一番の楽しみなんですよ」
秋一さんが路上に出たのは、昨年の4月。調理師の資格や長年働いてきた飲食店での経験を生かした仕事を探していたが見つからず、ネットカフェに泊まり続けた末の路上だった。
「どこでもいいから働きたいと思っているんですが、年齢や経験が邪魔になってうまくいかない。もちろん、住所がないことも仕事を探す上では大きなマイナスですよね」と秋一さんは言う。 秋一さんは高校を卒業した後、大手メーカーに就職。当時はバブルの真っ盛りだった。
「知り合いの紹介で運よく入社できたんですが、営業の仕事は合っていないと感じ、 一年ちょっとで辞めました」
食べることが好きだったことや、手に職をつけたいと考えたことから調理師の資格を取った秋一さんは、和食、洋食、中華とさまざまなレストランで修行を重ねていった。
「ちょうどその頃、リゾートで仕事をするのがはやっていたんです。それで温泉地や高原リゾートのホテルなどを転々としながら働きました。実家に時々顔を出し、いつの間にかいなくなるので、『フーテンの寅』とか呼ばれてからかわれてました(笑)」
そんな気ままな暮らしを好んでいた秋一さんだったが、20代後半で妻になる女性と出会い、身を固める決意をする。
「ちゃんとした家のお嬢さんだったんで、彼女の両親は結婚に反対しました。そして二人で駆け落ちしたんです。その後、子どもができてから、許してもらいましたけど」 二人は同じリゾートホテルで、彼女はホール係、秋一さんは調理師として働いた。そうして15年の日々が忙しくも平凡に過ぎていった。
「かみさんは大変だったと思います。仕事をしながら子どもたちの世話や家のこともやって……。本当にすごい女性だなって感心してましたよ。結婚して15年経って、ようやく子どもも手が離れたから、これからはもう少しプライベートを楽しもうということになったんです。でも、かみさんとは職場でも家でもいつも一緒なもんで『今さら何を?』って感じなんですよね(笑)。それならお互いが好きなことをしたらいいということになった。ところが、いざ別々に出かけ始めると気になるんですよ。それでつい『どこに行ってたのか?』『誰といたのか?』と詮索するようになる。一緒にいるとイライラするのに、離れるとやっぱり相手のことが気になっちゃって束縛しちゃう。ささいなことが口論に発展してけんかするようになって、最後は離婚しました」
大切な子どもを残したまま離婚したことについて、秋一さんは今でも心残りがあるという。
「離婚後、二人同じ職場で働くわけにはいかなかったんで、僕が辞めました。また別のリゾート地を探して調理場やバーで働いて……という暮らしを続けましたが、このご時世、どこも厳しいんですよね。路上に出る前に働いていたリゾートでもどんどんお客が減ってしまって。日給制なんでまともに稼げなくて辞めざるをえませんでした。東京なら仕事があるかなと思って帰京したんですけど、全然ダメですね。レストランもどんどんマニュアル化されてるんで、調理師の資格なんか関係ない。逆に年齢が上で資格があると使いにくいって思われちゃう。僕の場合、いろんな店を転々としているんで、それもよくないらしいんですよ」
幼い頃、両親の離婚によって母親と離別した秋一さんは、同じことを子どもたちにだけは味わわせたくないと思っていた。
「母親は自分を捨てて出て行ったんだって恨みに思う気持ちがずっとありました。でも同じことを経験して初めて、母親のことを理解できたように思います」 2年前、秋一さんが飲食店で働いていた時、息子と娘が会いに来たという。
「ちょうど僕の誕生日の一週間前で、小さな時計をプレゼントしてくれました。見違えるほど大きくなってて、これ以上この子たちを傷つけることだけはしちゃいけないって思いましたよ」
路上が長いと、再就職からますます遠のいてしまう。生活保護を申請し、就職活動に専念できる環境をつくっては?と秋一さんに水を向けたが、答えは断じて「NO」だった。 「今の状況を絶対子どもたちに知られたくないんです。これ以上、子どもたちを傷つけたくない」
秋一さんの財布には子どもと元妻が写った家族写真が今も大切にしまわれている。離れ離れになってしまったけれど、秋一さんの心の中にはいつも家族が生き続けているのだ。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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