販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

江尻洋一さん

新号が出るたび足を運んでくれる同級生。自分もお返しをしながら生きていきたい。

江尻洋一さん

神奈川県の茅ヶ崎駅から20分ほど歩くと、海岸が見えてくる。「砂まじりの茅ヶ崎 人も波も消えて~♪」と、サザンオールスターズの名曲『勝手にシンドバッド』の出だしにも唄われている湘南の浜辺だ。

昨年11月、江尻洋一さん(46歳)は、ビッグイシューの販売者に声をかけた。「どうしたら販売できますか?」。

そして今、江尻さんはこの茅ヶ崎駅で販売していて、一日30冊以上と順調に売り上げている。地元の市民団体・湘南あすなろ会や自治体のサポート事業の応援を受けて、現在はアパート暮らし。「自炊しているので、一日の生活費は千円程度ですね」と江尻さん。生活費以外の収入は、ほとんど貯金に回しているというから、市から借りているアパートの入居費を完済できる日も、そう遠くはなさそうだ。

江尻さんの販売スタイルは、とにかく声を出すこと。よく通る声なので、階段の下で販売していて、改札のある上の階まで声が届いていることもあるのだとか。朝6時半頃から夜7時頃までが販売の時間だ。「ここから新宿まで1時間はかかるから、都内へ出勤する人たちは朝が早いんです。でも苦にはならないですね。ありがとうと言って買ってくださるお客さんたちに励まされてます」

江尻さんは茅ヶ崎から少し離れた大磯で生まれた。両親と妹が一人いるが、町役場に勤める公務員だった父と、母は、この1~2年で立て続けに亡くなっている。

小学校5年生の時、隣町に引っ越した江尻さんは、体格が小柄だったこともあって、転校先でいじめを受けたという。しかしある時、我慢ならなくなった江尻さんは、いじめっ子に向かってイスを放り投げた。相手の子には当たらなかったが、これがきっかけになって、いじめは収まったそうだ。

中学を卒業すると板金工の仕事に就いたが、もともと高齢者や子どもが好きで、看護の道に進みたいと考えていた江尻さんは、20歳の時に病院で働ける職を見つけた。手術室で、医師に器具を渡すアシスタントの仕事だ。

「人とかかわる仕事がしたかったので、自分が思っていたものとは違ってました」と江尻さん。ところが、その病院には、同じ敷地内に介護施設があった。そちらに紹介してもらった江尻さんは、介護の仕事を経験し、「天職だと思った」と言う。

施設で人員の入れ替えが行われ、30歳代の後半でこの仕事を失った江尻さんは新聞配達の営業所に勤めたが、今度はここがつぶれてしまった。それが昨年末のことで、会社の寮として住んでいたアパートからも3日で出て行くように言われたという。

所長からそう告げられて「急に力が抜けてしまった」という江尻さんは、着の身着のままでアパートを出ると、そのまま茅ヶ崎駅で寝泊まりする生活を始めた。以前から見知らぬホームレスの人に缶コーヒーやサンドイッチを差し入れることがあった江尻さんにとって、それ自体に抵抗はなかったそう。むしろ駅構内でゴミ拾いをして、近隣の店に重宝がられていたくらいだという。それでも「入場券で中に入って、線路に身を投げれば楽になれるんじゃないかって、正直何度も考えました」と、内心は穏やかではなかったようだ。

販売者に自ら声をかけたことで、江尻さんの状況は変わり始めた。あすなろ会が何かとサポートをしてくれて、販売も軌道にのっている。ただ、いったんは新聞配達の仕事に就いた江尻さんが、5日間でクビになってしまうという出来事があった。「ホームレスが配達に来るのはやめてほしい」と、営業所にクレームが入ったのだという。

地元で生まれ育った江尻さんは、販売中に知人と顔を合わせることもしばしばだ。反感をもたれることがある一方で、ビッグイシューを販売していることも「友人にカミングアウトしてます」と言う江尻さんの元に、新号が出るたびに足を運んでくれる同級生もいるという。

現在は、「また介護の仕事がしたい」と就職活動中の江尻さん。就職した後も、休日などに販売して、ビッグイシューとのかかわりをもち続けたいと話す。江尻さんの夢は、サザンオールスターズのファンが集うお店を茅ヶ崎で経営すること。「いつも誰かがいて、何でも好きなことを話せる場所にしたい」と言う。

「人は、自分一人じゃ生きられない。人の助けがあって生きられるものだから、自分もそのお返しをしながら生きていけたらいいですね」

この話を聞いたのは、茅ヶ崎駅近くの喫茶店。そのマスターも「たくさんの人に知ってもらえるといいね」と、江尻さんを応援してくれた。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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