販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
大塚進一さん
販売を通していろんな人と出会えたことは、 自分にとって"宝"です
大塚進一さん(48歳)が後楽園を販売場所に選んでから1年が経とうとしている。
「これまで客商売をやったことがなかったから、雑誌の販売なんて最初は絶対無理だと思った」と、落ち着いた声で話す大塚さんは朴訥(ルビ:ぼくとつ)としていて、高倉健ではないが「不器用ですから」などと言いながら黙々と働いていそうな感じの人だ。
昨年の8月中旬に販売を始め、1ヵ月ほどの間に何ヵ所か売り場を変わったが、しっくりいかず、大塚さんは現在の販売場所を自分で開拓したという。朝8時から夕方の6時頃までは春日駅近くの文京区シビックセンター前、そのあと夜の7時から10時頃までは後楽園駅4B出口前に移る。後楽園周辺には観光スポットが集まっていて、大塚さんは日曜や夜遅い時間まで販売場所に立つ。「どうしてもその日に読みたいという人がいるかもしれない。応援してくれるお客さんのために、自分にできることはそれぐらいしかないから」と、最新号が発売になってからの1週間は、なかなか持ち場を離れることができないのだという。
大塚さんは今、右足を引きずって歩いている。働いていた建築現場で3年前に負ったケガのためだ。クレーンの前で建築資材を下ろす作業を誘導していた大塚さんの足に、強風にあおられて振り子のように揺れていた鉄材の角がぶつかってしまったのだそうだ。
入院3ヵ月、自宅療養3ヵ月を経て、元の職場に復帰したが、「どうしてもみんなと同じようにできないんですよね。周囲の動きについていけない。社長は構わないと言ってくれたけど、申し訳なくて」と、半年ほどで退職。しかし、折り悪く建築業界は不況のただ中にあり、大塚さん自身の働く意欲もしだいに失せていったという。
路上生活をしている間はなかなか病院に行くことができなかったが、販売開始から10ヵ月かけて貯めた金でアパートを借りてからは、月2回の病院通いができるようになった。
「足が動かない分、腰に負担がかかっちゃってて。冬は特に痛い。無理して販売を続けていたら、今年の4月に痛みでとても立っていられなくなって、やっと病院に行ったんです」
大塚さんは九州出身。両親が早くに他界し、家族は歳の離れた妹が1人いるだけだそう。13歳の時に母親を亡くしてからは親戚の家を転々とし、中学卒業と同時に建築業をしている親戚を頼って東京に来た。18歳で一人暮らしを始め、20歳で結婚。その後、義父が妹を残して蒸発したため、大塚さんは離れて暮らしていた妹を引き取り、結婚まで見守ったという。一方で、自身は2度の離婚を経験している。
「東京に来て以来、33年間ずっと建築業界で、アルバイトの経験も一切ない」という大塚さんの仕事は型枠大工といって、高い技術をもつ職人にしかできないものだ。鉄筋が組まれた後、その周りに木材で作った型枠をはめ込み、コンクリートを流し込んで建物の外縁部を形作る。建物の基礎や階段などを作るのも型枠大工なのだそう。
「平面図と断面図だけで立体をイメージできなければできない仕事です。難しいだけにやり終えた時に達成感があるし、形に残りますからね。このマンションは自分が手がけたものだって。印象に残ってるのは、箱根にある彫刻の森美術館。丸い柱とかがある凝った建物なんです」
仕事の話をする大塚さんは真剣で、職人として、他の人にはない技術をもっているという誇りに満ちている。「目標は、今年中に足を治して現場復帰すること」と言い切る大塚さんだが、ビッグイシューを卒業することに複雑な思いもある。
「ずっとやってほしいとお客さんに言われるのはすごく嬉しいし、足が治らなければ、このまま販売を続けられるのにと思う時さえある。お客さんに会えなくなるのは、やっぱり寂しい。でも、そのことは考えないで、今はまず足を治すこと。一つひとつやっていこうと思うんです」
最近では、図書館で調べた自作のレポートを雑誌に挟み込んだり、手作りの携帯ストラップを常連さんにプレゼントしたりと、今まで以上にお客さんとのコミュニケーションを図ってもいる。
「ケガをしないで建築の仕事だけしていたら、路上生活をしないで済んだだろうけど、そしたらビッグイシューを販売することもなくて、出会うことのなかった人がたくさんいる。だから、これでよかったのかもしれないってプラスに考えられるようになりました。販売を通していろんな人と出会えたことは、自分にとって“宝”です」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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