販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
玉田さん
感謝してもしきれないお客さん。元気な顔で街角に立つことが、せめてもの恩返し
ニコニコとした表情で、その場の雰囲気を明るく楽しいものへと変えてくれるムードメーカー的存在の玉田さん(47歳)。ビッグイシューの販売者となって、1年10ヵ月。
兵庫県川西市の阪急川西能勢口駅西口・南側歩道橋上が現在の担当場所だ。 広島で生まれ育った玉田さんは、兄が千葉で働くことになったのを機に一緒に家を出た。この時20歳。兄弟で従事することになったのは、京葉工業地帯に建ち並ぶ各種タンクや配管設備などの非破壊検査。超音波やX線などを使って、欠陥がないかをチェックしていく仕事だ。
「でも雇用の形態は、派遣のような感じだったかな。『あそこへ行ってくれ』『今度はこっちの会社に』と、1ヵ月とか1年とか短期間で職場が変わっていったね」 そうしているうちに、広島で瓦屋をしていた父も千葉へ。玉田さんは検査の仕事を辞め、父と兄と3人で瓦の販売の仕事を始めたが、父と兄の仲たがいによってその仕事は続けられなくなってしまった。 「元の職場にも戻れないし、何か仕事を探さなくてはと思っていた時に、自動車工場の期間工の募集を知ったので応募したんですよ。そこで働きだしたんだけど、周りはよく遊ぶ同僚ばっかりでね。
一緒に遊んでいたら、お金がまったく貯まらなくなってしまって……。兄にも怒られて、もう兄ともそこでケンカ別れのようになってしまったんです」 これまで何かにつけ密に連絡をとっていた兄と、これを機に連絡を絶ってしまった。考えた末に期間工の契約更新はせず、新たな仕事を探すことに。
ある日、川崎の駅前で手配師に声をかけられたのがきっかけで建築現場での仕事を始めたが、徐々に不景気の波が押し寄せ、5年ほど前に関西へ。
「でもこっちに来ても、1日働いて3日休みとかそういう状態。それでも4日分の寮費と食事代を引かれるものだから、やっていけなくなってしまってね。兄も亡くなっていたし、頼る人もいないし、その時の僕にはもう何もない。だんだんと気力も失せて、どうにでもなれという気持ちになっていましたね」 そんな時に訪れた公園で、ボランティアの人たちから寝袋と「路上脱出ガイド」を受け取った。「売れなかった時のリスクを考えると販売者になることに少し躊躇したんだけど、その時同時に問い合わせた地域の自立支援センターは入所3週間待ちだと言われてね。
3週間も待つ余裕はないし、すぐに仕事を始められるビッグイシューに挑戦してみることにしたんで」人前に出ることが苦手で、販売者となってからしばらくは緊張の連続。その緊張を解きほぐしてくれたのがお客さんたちだった。 「気さくで優しいお客さんたちに、助けられました。
毎日僕の前を通るおばあちゃんがいて、いつも話をしに来てくれるんです。働きぶりをチェックされているようでプレッシャーにも感じるんですけど、本当に大きな励みになっていますね。ほかにも『明るくがんばっている姿を見て、励まされています』というお手紙をいただいたり、お弁当の差し入れをいただいたり、お客さんにはどれほど感謝してもしきれないぐらいです。でも今の僕にはお返しできるものが何もないので、日々元気な姿で販売し続けるということが、せめてものお返しのつもり。
だから、販売場所に立つ時には暗い顔はできない。元気な顔を見せなくちゃと思っています」 昨年にはホームレスワールドカップでイタリア・ミラノへも行った。ビッグイシューにかかわる人の輪の中で、場を和ませるかのように、いつも明るく振る舞う。 「父と兄もどちらかというと静かでね。家族の中で僕だけが明るい性格だったんです。
ビッグイシューの販売者仲間はみんな苦労をしているから、そんな中で僕のその取りえが少しでも役に立てばうれしいね」 あまり先のことは考えないタイプだといい、子どもの頃から、「将来の夢」というテーマで作文を書くのも苦手だったという玉田さん。 「ただ、一日一日を大切に生きていきたい。もうこれまでと同じ失敗はできないし、前向きな気持ちをもって、少しずつ生活を安定させていきたいね。
ビッグイシューで助けられたという感謝の思いを、いつか何らかのかたちで返していくこと。それが目標かな」
阪急川西能勢口駅西口・南側歩道橋上で
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている BIG ISSUE
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