販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
井上進さん
死んでもいいと思い詰めていた。 今、多くの人に出会って、生きている実感がわいてきた
JR大阪駅・桜橋口で販売をしている井上進さん(40代前半)が、毎回腕をふるっているのがブラックボードを使ったポップ広告。販売場所に立てかけているのだが、赤や白、緑などのカラフルな文字が黒地に映え、思わず目を奪われてしまう。書かれているのは、最新号の特集や表紙の人物を紹介する、井上さんオリジナルの楽しいコメントだ。
「街を歩く時は、いろんなお店のポップやコピーを見て参考にしています。昔から、何かと“書く”のが好きなんですよ」
文字の大きさや色づかいにも工夫をこらすことで道行く人の目にとまり、こんなエピソードまで生まれた。
「ある時、お客さんからの差し入れがとても多い時期があって不思議に思っていたんです。川柳本『路上のうた』から選んだ一句をブラックボードで紹介していたんですが、その時に書いていたのが『パンの耳 鳩にやるなら 俺にくれ』だったんです。桜橋口も鳩の多い場所だから、僕が詠んだ句だと思われていたみたいで……(笑)」
このほか、自主的に作っている「販売管理ノート」もすでに3冊目。見せてもらうと、その日の天候や売れた時間、お客さんの年代などが整然とした文字で細かく記されていて驚いた。
「仕事として取り組むからには、やはり売り上げアップを目指したい。長く記録をつけていると傾向もわかってくるし、いつかこのデータが役に立つと思うんです」
井上さんは子どもの頃から本を読んだり、文章を書いたりするのが好きだったと話す。
「18歳の時、進学を目指していたんですが勉強に行き詰まってしまって。同じ頃に母が体調を崩したこともあり、それからはアルバイトをしながら母を助けて家事を手伝ったりしていました」
CD販売店などで働き、その時に多数のポップ広告を書いた。その後、多くの犠牲者を出した自然災害に遭遇し、生活が一変してしまう。
「土地や家を所有していた祖母が亡くなり、家族間でもめごとが起こってしまったんです。父が祖母の財産をあてにして借金を作り、わけがわからないまま連帯保証人になっていた僕にも多額の借金がのしかかってきて、父とはその時に絶縁。住んでいた家も競売にかけられてしまいました」
とにかく収入を確保しなければと、知人が経営していた飲食店で正社員として働き始めた。しかし、朝から深夜にまで及ぶ長時間労働が続き、ついには身体を壊して退職。数ヵ月間は失業保険を受給しながら療養し、生活をつないだ。体調が回復してから仕事を探したが、正社員の職はなかなか見つからず、派遣会社に登録。短いサイクルで、仕事を点々とすることに。
「もう、ずっとギリギリの生活。そのうち派遣の仕事もなくなって、家賃も滞納が続いて、どうにもならないとアパートを飛び出したのが昨年の秋。手元にあったわずかなお金で週1回だけネットカフェに泊まり、あとの日は野宿という生活が始まりました」
路上生活が続いたある日、教会で働く人に声をかけられてお弁当を手渡された。
「住所も携帯電話もないから仕事も探せない。もう希望なんてもてなかったし、死んでもいいとさえ思い詰めていたので、これを食べたら命がつながってしまうなぁなんて考えてしまいました」
何もしたくないという気持ちの一方で、何かしなくてはという焦りもあり、じっとしていられずに街を歩き回っていたという井上さん。わずかな所持金が尽きた11月末、以前から存在を知っていたビッグイシューに電話をかけた。
「今、お客さんが買ってくださる一冊一冊の重みをひしひしと感じています。この仕事をしっかりとがんばらないと、僕はもう行くところがない。一日一日、一所懸命に取り組むだけです。若い頃から家庭がゴタゴタしていたこともあって将来の夢なんて考えたこともなくて、目標をもてるようになることが目標かな。すべてを失ったけれど、今、多くの人に出会って懸命に取り組めることがあることで、生きている実感というものが徐々にわいてきているような気がしています」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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