販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
麓光雄さん
仲間がいると思えることがうれしくて ずっと販売者でいたいぐらい
「元気と明るさが僕の取りえかな」と本人も言うように、麓光雄さん(59歳)が顔を見せるとその場が一気に和んでいく。「ケンカが嫌いで、怒るのも嫌い。本気で怒ったのって、生まれてから2回ぐらいしかないんじゃないかなあ」と、にっこり笑う。
ビッグイシューの販売者となったのは昨年の12月。以来、京阪京橋駅・JR京橋駅OBP連絡橋に立ち続け、2月からは西梅田共同経営店舗のメンバーにも加わって日々奮闘中だ。
4人姉弟の末っ子として群馬県で生まれ育ち、子どもの頃はやんちゃな性格でよく走り回っていたという麓さん。地元の高校を卒業後は、父が勤める会社で旋盤工として働いた。しばらくして、「プロボウラーになりたい」という夢をかなえるべく、地元のボウリング場に転職。「従業員はタダでボウリングができるから、暇さえあればボールを転がしてたね。最高スコアは300。プロテストにも合格したんだよ。でもボウリング場がつぶれることになってしまって……」
その後はボウリングの次に好きだったという自動車の世界へ。自動車整備の仕事や、トラックの運転手として日々汗を流し、結婚もした。しかし、35歳の時に離婚。それを機に地元を離れることにし、一からやり直そうと大阪へ向かった。
「大阪へ出てきて地下街で休憩していたら、カバンを置き引きされてしまってね。財布も免許証も入っていたから、どうしようかと慌てたよ。そんな時に手配師に声をかけられてね」
紹介された建設会社で、現場作業員として20年ほど働いた。駅やビル、道路などの建設に携わる中、いつしか人間関係や増えない給料に悩み始め、56歳の時にその会社から離れることにした。こつこつと貯めていたお金でしばらくは生活を続けたものの、お金が尽きたと同時に路上へ。幸い、すぐに自立支援センターの支援員と出会い、センターに入所することができた。
「そこから病院の掃除の仕事を見つけて働き始めたんだけど、体力的にとてもきつい仕事で、続けられなくて。他の求人に応募もしたんだけど、自立支援センターの住所だとなかなか採用されない。生活保護の申請も、身体が元気だから働けるだろうということで通らない。でも、住所がないと就職は厳しい。生活保護か何もなしかという二択ではなくて、せめて住宅の支援だけでもあれば仕事も探しやすくなるんだけどなあ」
センターを出た後、空き缶集めをしながら再び路上での生活が始まった。そんな時、知り合いに誘われて参加した夜回りボランティアで、ビッグイシューのスタッフと出会う。
「話を聞いて、とにかくやってみようと思った。初日に10冊売れて空き缶収集より効率がいいことがわかったし、がんばって続けてみようという気になったね。仲間や顔見知りのお客さんも増えたし、今ではずっと販売者でいたいぐらいこの仕事が好き。夜回りも続けてるんだけど、空き缶を集めているという人には僕の体験も話しながらビッグイシューの販売を勧めてるよ」
旋盤工や整備士として働いたり、自立支援センター入所時に制作した手びねりの陶器が評判を呼んだりと、手先が器用なことも麓さんの自慢の一つだ。「これね、材料費400円で作れるんだよ」と言って見せてくれたのは、A4サイズのプラスチックケースと電池などを組み合わせた、手作りの光る宣伝用ボード。
「夜の販売だと、表紙を掲げていても暗くて見えにくいでしょ。でも、このケースの表面にビッグイシューの表紙を張り付けてスイッチを押せば、バックライトが表紙を照らす仕組み。頼まれたら、材料費だけでいくらでも作るよ」
「今は本の販売に夢中な毎日だけど、いつかは部屋を借りたい。モノ作りが好きだから、就職できるとしたらまた旋盤工をしたいかな。でも、ずっとビッグイシューの販売者でいたいという思いも強くてね。事務所に顔を出すと、そこには気軽に話せる販売者仲間やスタッフがいるってことがうれしくて、とても元気が出てくるんだ」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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