販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
『BISS』販売者のミュンヘン案内ツアー ― サイクルショップから『BISS』の共同墓地へ
『BISS』は1993年にミュンヘンで創刊された、ドイツ最初のストリートペーパー。雑誌の販売と並行して名物になっているアトラクションがある。それが、『BISS』の販売者によるミュンヘン案内。2~3時間くらいかけて販売者の視点からミュンヘンを紹介するという趣向だ。個人でのツアー参加料は10ユーロ(失業者割引、学生割引がある)。小中学校の子どもたちが社会科見学で訪れるケースも多いという。ツアーにはいくつかオプションがあるのだが、私が今回参加したのは、サイクルショップ「Dynamo」(デュナモ)から市営墓地をたどるコースだ。
まず訪れたのは、サイクルショップ「Dynamo」。ドイツでは、自転車修理工はマイスター制度にのっとった手工業として登録されている。つまりこの職業に就くためには、まず約3年の職業訓練を積み、正規の職人になり、そしてさらにマイスターになると自分の店を持つことができるという仕組みだ。
『BISS』と提携しているDynamoは、ミュンヘン東駅の裏手の工業団地の一角にある。ここは、『BISS』で販売者になるには若いホームレスや、長期失業者を対象に職業訓練の機会を与え、社会へ送り出すステップとして機能している。自転車の組み立てや修理だけでなく、廃棄処分にされる自転車の回収リサイクルも事業の柱の一つ。地下倉庫には、使い古された自転車が山積みになっていた。すり減ったタイヤが集められて加工され、そこからたとえばテニスコートのグラウンド部分が作られるのだという。消費社会で使い古されたものが再生するプロセスが、現代社会からドロップアウトした若者たちが新たなスタートを切るプロセスに重なる。
「僕は、一度ここに勤めてからすぐやめて、また戻ってきたんですよ」と、今では職人試験を目指しているトルコ系の青年が話してくれた。『BISS』ミュンヘンツアーの案内人である販売者のクリスチャン・ツィンマーマンさんが、一つのエピソードを話してくれた。すでに職人資格を取得し別の企業で就職を果たした20代のある青年は、ミュンヘンの路上で寝ていたところ、販売者に声をかけられたのだという。「起きろ、起きなくちゃだめだよ」と。青年は無視した。販売者はこの後2ヵ月間毎日、彼のところに来ては同じことを言い続けた。そして2ヵ月後、青年は起き上がった。
店舗と工場が併設された建物は日当たりがよく清潔感にあふれている。ショップ見学の記念品に、タイヤのパンク修理キットをもらった。
サイクリングショップを出ると、ここから徒歩で15分ほど移動し、緑豊かな市営墓地へ。
「死んだあと、埋葬してもらうのにいくらかかるか知ってますか?」。ツアー案内人のクリスチャンさんがツアー参加者に問いかける。「ミュンヘンでは、一番安い場合で5000ユーロ(約67万5千円)なんです。
遺体を火葬して匿名墓地に埋葬されるという一番簡単なものでね」 多くの販売者に慕われ、クリスチャンさんにとっても大切な恩人であり友人だったという販売者のボス的存在ユルゲン・ムックさんが51歳で亡くなったのは2005年だった。死の直前、彼は詩を書き残していた。「死はだれにでも平等に訪れる」
たしかに死はだれにでも訪れる。しかしユルゲンさんの死は、多くの販売者にショックを与えた。販売者は死ねば、墓石もなくさびしく葬られるだけなのかと。この空気を敏感に読み取ったのが、『BISS』発行人のヒルデガルト・デニンガーさんだった。ユルゲンさんの死から2ヵ月後、ヒルデガルトさんは55人の販売者分の葬儀保険を5年間肩代わりしてくれるスポンサーを見つけ、販売者のための墓を購入した。ユルゲンさんもここに入ることになった。さらに、有名デザイナーの故ルドルフ・モスハマーが多額の出資を申し出た。彼は父親が、ホームレス状態を経験したことがあるという経緯の持ち主で、『BISS』に賛同して支え続けたサポーターの一人だった。彼の眠る霊廟も同じ墓地の敷地内にある。
3つの墓石が立ち並ぶ、市営墓地の『BISS』のコーナーは、きれいに手入れされて花が植えられていた。それは、死者と面識のなかった私たちにさえ、安らぎを与えてくれる光景だった。死を看取るところまで販売者の人生に寄りそう『BISS』というストリートペーパーの精神が、この場所にも集約されているように思えた。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている BIG ISSUE
227 号(2013/11/15発売) SOLD OUT
特集原発閉鎖をチャンスに― 原発地元の未来