販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
新春座談会【前編】
路上生活、約20年、人とまともに話してこなかった。 それが、励ましの言葉をいただけるなんて
昨年、大阪で雑誌の販売を始めた新人販売者のTさん(62歳)、Hさん(57歳)、Pさん(47歳)。新年にあたって、みなさんに、昨年を振りかえりつつ、今年の抱負を聞きました。その前編をお届けします。
――いよいよ2014年ですね?。みなさん、昨年から販売を始めたわけですが、どのようにしてビッグイシューを知ったんですか?
T 春頃に、大阪・扇町公園の炊き出しでビッグイシューのビラをもらって、仲間2人と一緒に事務所に説明を聞きに行ったんです。僕は全然その気なくて、2人が行くっていうからついて行っただけなんです。ただ、「誰が最後まで続くか」、ジュースを賭けてて、賭けに負けたくない一心でがんばった(笑)。
P Tさんらしい(笑)。僕は8月に大阪駅の炊き出しでスタッフに声をかけられたのがきっかけです。ビッグイシューのことは石田衣良さんの小説にも出てきたし、街で見かけたこともあったから前から知っていた。それまで路上生活をしていたから、その日からすぐに仕事ができるというのが本当に助かりました。
H そうだよねぇ。僕が販売者になったのは、7月です。公園でスタッフにチラシをもらった時、僕の手持ちのお金はわずか千円。だから、最初に10冊をもらえてそれを売れば3千円の収入が得られるのは、大きかった。
――それまでは、どのような暮らしをされていたんですか?
H 実は、僕、ビッグイシューを応援してくださっている方のご厚意で、年末にアパートに入ることができたんです。
P&T おぉ、よかったねぇ。
H だけど、それまでは20年近くホームレス状態。12月?3月の年度末の仕事の多い時期に建設現場で仕事をして、そのお金で次の冬まで過ごすという生活をずっと続けていたんです。
4月から12月まではすることがなくてひたすら大阪市の図書館をめぐっていたから、どこの図書館では何時間ビデオが見られるのかなんてことも含めて、各区の図書館の特徴についてものすごく詳しくなりましたよ(笑)。
P 僕は建設関係の仕事をしていたんだけど、派遣切りに遭った後は就職活動がうまくいかなくて。1人の募集に200人が殺到したりして、本当に厳しいんですよね。それで就活疲れから、ひきこもり生活が始まったんです。しばらく生活保護も受給していました。でも、担当のケースワーカーさんと折り合いが悪くなって、部屋を出て、そこからビッグイシューに出合うまでの約2ヵ月間、路上生活をすることになったんです。
T そうかぁ。僕は27年間公務員をして、知り合いの保証人になったことで職場を辞めて、そのあと建設現場の仕事に就いたんやけど、年齢のこともあって2年ほど前から仕事がなくなって路上生活が始まった。販売の仕事は初めてで不安やったんやけど……。
P Tさんは身体が大きいし、初めは威圧感があるんちゃう?
H 笑うとキュートやのにね(笑)。
T うるさいわ!(笑)
――販売当初、どんなことを考えていましたか?
P 先輩販売者と立つ初日の研修ではわりと売れたんだけど、翌日、1人になった途端、8時間立っても2冊しか売れなかった(笑)。
なれないお客さん商売で顔がこわばっていたのかも……。思わず「もうやめる!」って言ったら、スタッフが売り場に駆けつけて、一緒に立ってくれて。「よし、もう少しがんばってみよう」という気持ちになれた。
H 僕も販売のコツをつかむまでは苦労したなぁ。1個58円のカップラーメンで食いつないで、24時間営業のファストフード店で夜を明かしたりもしました。どこのファストフード店なら、追い出されずに24時間いさせてもらえるかリサーチしてね。あの時、あの店で常連だったお兄ちゃん、お姉ちゃん、元気にしてるかなぁ……。
P 僕は、夏の暑さが身にこたえたなぁ。水分補給のため、2リットル入りのペットボトルのお水を、毎日2本は消費してた。販売場所でも、日陰のあるところに移動すると、お客さんから見えにくくなると思うと、何だか動けなくて。
T そうだよねぇ、僕も「暑いのにご苦労さん」といったお客さんからのお声がけがあるからこそ、今まで続けてこられたんやと思う。
H うん、わかります。路上生活していた約20年、人とまともに話してこなかったから、人と普通に話ができるっていうだけで、とてもうれしい。ましてや励ましの言葉をいただけるなんて……僕も、お客さんから、本当にいつも元気をもらっています。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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