販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

入島輝夫さん

好きな言葉は、一期一会 とにかく今を精いっぱい生きていく

入島輝夫さん

「好きな言葉は、一期一会。すべての出会いに感謝する毎日です」。大阪のJR高槻駅エレベーター下で販売をしている入島輝夫さん(52歳)は、少し照れくさそうにそう話す。
「お客さん全員と話をするのは難しいけど、急いでなさそうな場合はなるべく一声かけたり、世間話をしたりするようにしてますね。暑いですねとか、お子さんはいくつですかとか。この路上で会ったのも何かの縁だし、本を手わたす時間も大切にしたい」
 奈良県で生まれた入島さんは、幼い頃に両親が離婚。姉と妹と3人で、大阪で暮らす祖父母のもとに引き取られた。「子ども時代はわがままで、やんちゃし放題。いたずらっ子だったから、おじいちゃんやおばあちゃんに随分と迷惑をかけたなあ」と振り返る。
 中学卒業後に職業訓練校で電子回路について学ぶが、途中で辞めてしまう。「それからはしばらくプータロー。20歳を過ぎた頃、親父のところで修業してこいって祖父に言われて、親父が経営していた清掃業の会社で働き始めました。最初はあまり働きぶりがよくなくて、親父に怒られながらだったけど(笑)」
 ところが、会社の経営が徐々に悪化。赤字が膨らんでいく。
「僕が27歳ぐらいの時かな。親父の片腕としてしっかり働かないといけないという自覚がやっと出てきてた時だったんだけど、がんばってもがんばっても借金の返済が追いつかなくて。そんな悪い雰囲気の中、嫉妬もあったのかもしれないけど、ほかの社員から僕への反発が強くなってきてね。会社に居場所がなくなってしまった」
 家族にも何も言わず、会社を飛び出して西成へ。当時はまだバブルがはじける前。仕事はスムーズに見つかった。しかし、景気が後退していくと、仕事の条件は悪くなっていく一方だったという。
「朝早くから夜遅くまで働かされた上に、寮費や食費といってはお金を引かれて、手元に残るのはごくわずか。人間関係もひどいもんだったし、世の中の底の底まで見尽くしたという気持ちになった。もうこらえきれなくなって、そこからまた飛び出したんです。でもお金もないし、行くあてもない。野宿しながら空き缶を拾い集めるしかなかった。その頃にはもう完全な人間不信になっていましたね」
 ビッグイシューのことはニュースで見たり、販売者を見かけたりしていたので知っていた。4年前のある日、西梅田地下の共同店舗を訪れ、『路上脱出ガイド』をもらい、事務所を訪れた。
「その翌日、美術家のタケトモコさんと一緒にペインティングをするというビッグイシューのイベントがあり、よくわからないまま参加したものの、和気あいあいとしていてすごく楽しくて。その次の日から販売者になったんだけど、お客さんが声をかけてくれるのが本当にうれしかった。励ましてくれたり応援してくれたりするということは、僕のことを見てくれているということ。お客さんは僕にとって、元気の素。それぞれにいろんなことを抱えながら生きているだろうけど、少しでも笑顔の時間が増えてほしいから、僕もいつも笑顔で応えようと思ってる」
 現在、ビッグイシューのクラブ活動で、月2回、フットサルの練習に参加している入島さん。「一日中立っていたら、身体が硬直した感じになるから、フットサルで思いっきり身体を動かして汗を流すんです。それに、西成にいた頃は大学生と話すことなんてなかったから、こうやって若い人と交流できるのも楽しい」。身体の動くかぎり、フットサルは続けたいと目を輝かせる。
「まだ完全に人間不信を払拭できたわけじゃないけど、日々出会う人は、僕も含めて誰でもそれぞれにいろんな過去を背負ってる。それをお互いにどれだけ受け入れられるかは簡単ではないかもしれないけど、一つひとつ乗り越えていけたらいいなと思ってる。具体的な目標は特にないけど、とにかく今を精いっぱい生きていくことだけを考えてます」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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