販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
佐々木博さん
自分の気持ちに寄り添ってくれた青年の存在が、今の生き方につながっている
平日の昼過ぎだというのに人通りが途切れることのない、新宿駅南口の「ルミネ1」前。佐々木博さん(52歳)がそこに立つのは、火曜日を除いた朝11時から夕方6時までだ。
キリスト教会の運営の手伝いと販売をかけ持ちしている佐々木さんの朝は早い。週の半分は、朝の礼拝の準備のため、4時半に起きる。火曜日は、水曜日に教会の外で行われる礼拝と、炊き出しの準備と片づけに追われる。休みの日はないが、つらいと感じたことはないという。
出身は福島。父親は腕利きの料理人、母親は父親が働く旅館で仲居をしていた。山奥の旅館だったため、幼稚園に通う頃には父方の親戚の家に預けられていたという。
「親戚の家では可愛いがってもらったし、休みのたびにプレゼントを持って親が来てくれました。一人っ子でずいぶん甘やかされていましたね」
中学2年生の時、両親が離婚。父親も母親も離婚後すぐ、再婚した。佐々木さんは、旅館を辞めてホテルに再就職していた父親と、再婚相手の女性と三人で暮らすことになった。「新しい母親とはうまくいかなかったですね。二人だけになった時、『あなたの母親になったんじゃなくて、あなたのお父さんと結婚しただけ』と言われて。それからは、暴走族仲間とつるんで、ほとんど家には帰りませんでした」
高校生になる頃には、将来は料理人になろうと決めていたため、卒業すると父親の口利きで割烹料亭に住み込みで修業させてもらうことになった。「厳しかったですね。時には包丁が飛んできたりして。当時は誰も教えてくれないから、上の人がやっているのを見て覚えようとするんだけど、何度も妨害されました。競争の世界なので、上の人は後輩に追いつかれたくないっていう気持ちだったんでしょうね」
割烹料亭で4年間修業した後は、1年単位で転職を繰り返した。「いろんな親方の味を知っているからって理由で、昔は転職するたびに給料が上がりましたね」
32歳の時、料理人としては最後の職場となる結婚式場に就職する。そこで接客係をしていた女性と結婚。三人の子どもにも恵まれた。仕事も順調で、4年目にして和食の料理長に抜擢される。ただ、若くして料理長になったことで、他の料理長たちから嫌がらせを受けるようになる。最後は体調を崩し、10年以上勤めた職場を40代半ばで辞めるはめになった。
料理人の世界に嫌気がさした佐々木さんは、運送業を始める。しかし家族を養うほどの稼ぎがないため、1年もしないうちにやめて、新聞販売店に就職する。最初は配達から始まり、営業も任されるようになり、収入も安定してきた。それから3年ほどたったある日、東日本大震災が起こった。「家族は震災でいなくなった。その後は、死んでもいいという気持ちで各地をさまよいました。でもそう簡単には死ねないですよね。どうしても生きようとしてしまう」
間もなくして、ただ東京に行きつき、東京駅で寝泊まりするようになる。終電が終わってから始発が動き始めるまでは駅が閉まるので、夜中じゅう街を歩き回っていたという。
「ある時、大手町の教会でお弁当を配っていると聞き行ってみたんです。そこで教会のボランティアをしている青年に話しかけられて、最初はうっとうしいとしか感じられなかったですが、訪ねるたびに親身になってくれて。それからはガラッと変わりましたね」
青年の熱心さに負けて、毎週教会に通うようになり、ビッグイシューも紹介してもらった。今は、以前の販売場所近くにある新宿5丁目の「虹インマヌエル教会」でボランティアをしている。
「教会、お客さん、ビッグイシュースタッフと、みんなにやさしくしてもらっているから、自分もやさしくしたいんです。今の販売場所は坂になっているから車椅子の人がいたら手伝うようにしています。昔の自分からは考えられないことなんだけどね」と言って笑ってみせた。
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