販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
カナダ、『メガフォン』誌販売者クロード・ランヴィル
35年ぶりに絵筆をとった。 毎日が真っ白いキャンバスだと、目覚めるたびに感じる
1979年、18歳のクロード・ランヴィルはバンクーバーの高校を卒業し、自分のロッカーの片付けをしていたところ、見覚えのない紙切れが自分の持ち物の中に紛れているのを見つけた。それは、美術大学への奨学金が下りることを通知する手紙だったが、ランヴィルはどの美大にも、どの奨学金にも申し込みをした覚えはなかった。
「それは『あの道を選んでいれば……』と思うような、人生の分岐点の一つでした」と、彼は振り返る。おそらく先生の誰かが推薦してくれたのだろうと思ったが、早く働きに出たいと熱望していたランヴィルは、進学する代わりに家具職人となり、決して後ろを振り返ることはなかった。
そして時は過ぎ、2014年、50代前半になったランヴィルは、若い頃には想像もしなかったような人生を生きていた。アルコール依存症に苦しみ、ホームレスになっていたのだ。
「物事をうまくこなすことができなかった」と彼は言う。徐々に家具職人としての仕事をなくし、失業手当を受け、やがて家も失った。公園で寝泊まりしていたある日、バンクーバーでの2週間の短期労働に関する求人広告を見つけた。彼はその仕事がTED(※1)に関するものだとは知らないまま、応募することにした。その短いイベント期間中は「金持ちの、気取った似非インテリ野郎たち」と仕事をするはめになるのだと思っていた。
ところが代わりに彼が出会ったのは、美術、文化、科学や世界平和に対しての知見をもつ素晴らしい人たちだった。ランヴィルはたちまち刺激を受け、リハビリ施設に戻り本気でアルコール依存症から脱却しようと決心する。彼はそれまでの2年間で、すでに4回入退院を繰り返していた。
そのリハビリ治療をきっかけに、彼は高校卒業以来35年ぶりに絵筆を握ることになる。
「2014年8月のことでした。入院治療をしていたシティ・センター・ロッジのベッドの端に腰掛けて、窓の外を眺めていた。ホーリー・ロザリー大聖堂のメインの塔が、両隣の二つの建物の間に完璧に収まっていました。右側の建物は、私が大昔に酒を飲み始めた場所であるマーブル・アーチ・ホテル、左側には、ここを退院したら行きたいと思っていたベルキン・ハウス(※2)。この景色を絵に描かなくては、と自分につぶやいたんです」
無事に退院し、希望通りベルキン・ハウスで暮らし始めた彼は、バンクーバーのストリート誌である『メガフォン』の販売を始める。同時に、ベルキン・ハウスで開かれている社会復帰プログラムの一つである「Picture Your Recovery(回復を描こう)」に熱心に参加するようになった。間もなく彼は、絵描きとして最初の仕事を依頼された。
「ある日、牧師のラフィークさんと美術について話をしていたところ、彼が私に何か描いてほしいと言ってくれたのです。『あなたに任せるから、何でも心に思い描いたことを絵にしてくれればいい』と」
これまでは独学で絵を描いてきたが、今後はバンクーバーのエミリー・カー美術大学の授業を受講したいと考えている。また、現在取り組んでいる水彩画だけでなく、1?2年勉強したら油絵も始めたいそうだ。
「25年間、家具職人をやってきましたが、作り終えた仕事を見て『ああ、自分は家具職人なんだ!』と思えるまでに6年かかりました。だから絵に関しても、私はまだまだ時間がかかると思っています」
「朝、目が覚めると、毎日が真っ白なキャンバスだと感じます。またアルコール依存症に戻ってしまえば、創造的な刺激を感じることも、描く気力もなくなってしまう。絵が描ける、そのことこそが、私が社会復帰したことの何にも勝るご褒美なのです」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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特集国境こえ、ともに生きる――市民の国際ネットワーク