販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
オーストリア、『クプファーマクン』誌販売者ゾラン
母国セルビアでの兵役で精神的な病にかかり、働けなくなった。 世界が平和であることを願っている
ゾランには「夜明け」という意味があるが、早起きの彼にはまさにぴったりの名前だ。いつも朝8時きっかりに、ストリートペーパーの販売を始めている。
現在37歳のゾランは、セルビアの出身だ。しかし彼が6歳の時に、暴力を振るう父親から逃れるため、母親は2人の子どもを連れて、この街、すなわちオーストリア第3の都市リンツへと逃れてきた。母親が幼少時代をオーストリアで過ごしていたこともあり、家族全員がドイツ語を流暢に話せた。
「でも学校では外国人扱いされ、いじめに遭い、居心地はよくなかったよ」とゾランは話す。「太っていたから、“ぶさいく”と呼ばれてた。移住してきた子どもたちの多くは最終的に『Sonderchule』という特殊支援学校に行きつくことが多かった」
「学校を卒業すると、大工の見習いとして働き始めたが、落ちこぼれてしまった。それからは時々働く程度だった。18歳の時にはセルビアに戻って軍に入り、兵站にまつわる任務についていた」
しかし軍に入って11ヵ月が過ぎた頃、彼は自分が精神的な病にかかっていることに気づき始める。そしてつらい時期を経て、彼は再びオーストリアへと戻ってきた。ゾランが兵役に就いていた97年前後、セルビアはコソボ紛争のただなかにあったが、その当時のことは話したくないという。
「病気で働けなくなった数年後、僕は疾病年金を受け取れるようになった。今じゃ『クプファーマクン』の販売を始めて14年になる。そして売るだけじゃなく、この雑誌に自作の詩を投稿することも続けてるよ」
彼にはホームレスだった時期が3年間ある。当時は地元にある緊急シェルターを利用したり、リンツの中央駅であるハウプトバーンホフの敷地にもぐりこみ、廃墟となった古い客貨車の中でよく寝ていたそうだ。「その後 カトリック系慈善団体カリタスの『インビタ』というプロジェクトと出合うことができ、それ以来彼らが用意してくれた仮の住まいで暮らしてるよ」
「『クプファーマクン』は家族のような存在なんだ。販売者たちが集うカフェにもよく行ってる。お気に入りの販売場所はビショップ通りさ」とゾランは言う。彼が『クプファーマクン』のバッグを持って販売する姿は、今ではなじみのある街の風景となっている。
「販売で得た収入は主に食べ物とコンピューターゲームに使ってる。『ルーンスケープ』『ワールド オブ ウォークラフト』や『マインクラフト』がお気に入りなんだ。よくオンラインで他のプレイヤーたちと対戦してるんだ」
また、『クプファーマクン』による2016年のカレンダーの7月にはゾランが登場している。街の中心にあるお城、シュロスベルクで撮影されたものだ。「リンツの中でお気に入りの場所なんだ。背景には街のシンボルであるペストリンクベルク巡礼教会も見えるよ」
将来のことを考えると、「孤独を感じることが多いから、彼女ができたらうれしい」と彼は言う。また世界が平和であることも願っている。なぜなら戦争の恐ろしさを、彼は身をもって経験しているからだ。「僕は年老いるまで『クプファーマクン』を販売できたらと思ってるよ」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている BIG ISSUE
300 号(2016/12/01発売) SOLD OUT
特集記憶の銀行