販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
カナダ、『メガフォン』誌販売者 フレッド・ウィリントン
3人の子ども、2人の孫。離婚で生活苦しくなった
ブリティッシュ・コロンビアの州都ヴィクトリア市は、カナダの最南端に位置し、温暖な気候に恵まれた街だ。近くにある大都市バンクーバーに比べると、落ち着いた美しい街並みが広がっている。
フレッド・ウィリントンは2015年10月、ヴィクトリア市でストリート誌『メガフォン』の販売を始めた。彼の持ち場は、ジョンソン通りとガバメント通りの角の生協ストア前だ。
「私は1953年にバンクーバーで生まれました。東部のオンタリオ州で2、3年過ごし、60年にブリティッシュ・コロンビア州へ戻ってきました。61年に父がバーナビー市で接骨院を開業したため、基本的にはそこで育ちました」
19歳から、百貨店「シアーズ」の出荷部門で3年間働いた。それから22歳の時に米国に渡り、カリフォルニアの林業現場で2、3ヵ月仕事をする。その後、ブリティッシュ・コロンビア州に戻ると、メープル・リッジ市にある杉の植林地に職を得た。78年に結婚し、現在は3人の子どもと2人の孫がいると言う。しかし、99年の離婚前後から生活が苦しくなっていった。
「私はいくつかの問題を抱えているんです。働くことはできます。時間通りに来て仕事をすることができるし、それに喜びも感じる。ただ、雇用者がフルタイムで雇いたいと思うタイプの人間ではないでしょうね。実際はそこまで重大な障害ではないし、仕事に支障をきたすこともないんですが。病気というより性格の問題かもしれません」
メープル・リッジの職場には30年間近く勤めていたというフレッド。「労働組合もあって、いい仕事でした。ただ、月1000ドルの給料から元妻に600ドルの扶養料を送っていたから、生活費はいつも足りませんでした。96年~98年と、04年~06年の合計約4年間、私はホームレス状態でした」
06年にヴィクトリア市にやって来た頃、フレッドは『メガフォン』誌の販売者を見かけていたそうだ。「収入も得られそうだし、あの団体に受け入れてもらえたら、何とかなるんじゃないかと思っていました」
しかし、販売者になる方法がよくわからなかったため、まず市内のキッチンで下働きのボランティアをした。それからヴィクトリア市のコミュニティ・センター「Our Place(私の場所)」で、ランチ時の送迎バスの手伝いをした。10年から5年間ほどは、ホームセンターや園芸センターで清掃員の仕事があった。
そんな彼が『メガフォン』誌の販売を始めた直接のきっかけは、「Our Place」のジョブ・フェアで情報を得たこと。スタッフに説明を聞き、その次の週からトレーニング、そして販売を始めた。
「ヴィクトリアには親切な人たちがたくさんいますし、便利なところです。フードバンクもあるし、半介護付き住宅に入ることもできました」
「二人の息子たちには頻繁に会っているけれど、遠くに住む娘にはなかなか会えません。車がないと不便ですね」と話す彼の今年の目標は、売り上げを増やし、子どもや孫たちともっと多く逢えるようになること。パソコン教室も中級に進んだ。
フレッドは今、この街での生活を楽しんでいる。最近では、販売者仲間を増やそうと、スカウト活動に力を入れている。趣味は写真で、彼が撮った作品が地元のホームレス支援団体「Cool Aid Society」のカレンダーに採用されたこともある。
「この街が好きなんです。こじんまりとしていて、清潔なところだから。心の底ではいつも、退職したらヴィクトリアに住みたいと思っていました」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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特集どこにもない食堂―― 誰もがふさわしい場