販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
中本肇さん
10年の介護生活、仕事に復帰するも会社は倒産。 しかし、2年以内には社会復帰を果たしたい
大阪・堺市の地下鉄御堂筋線「なかもず」駅を地上に上がると、ロータリーを挟んだすぐ西側に南海電鉄と泉北高速鉄道が乗り入れる「中百舌鳥」駅がある。その距離、わずか30~40m。駅から駅へ、乗り換え客が足早に通り過ぎるその連絡通路が中本肇さん(60歳)の仕事場だ。昨年7月に販売者登録していくつかの売り場を経験した後、10月からこの売り場に立っている。
「ここを通る人はみんな電車の乗り換えで急いでいるから、駅前だけど周りにはお店も少ない。特に朝のラッシュ時はすごくて、人の波がドーッと走って私の脇をすり抜けていくんです」
まさに脇目もふらない通勤のためにあるような場所だが、意外にも中本さんの前で立ち止まる人は少なくなかった。初めて立った日に手持ちの雑誌が売り切れ寸前となり、最初の3ヵ月は貯金ができるほどの冊数を販売。定期的に購入してくれる常連客も思いのほか多かった。雑誌だけでなく、毎日のように声をかけてくれる人がいたり、ヒートテックの古着をプレゼントされたこともあれば、晩御飯をつくってきてくれる人もいる。本人によれば、特にこれといった販売のコツがあるわけではなく、売り場では声を上げず、常連さんと目が合えば目礼する程度だという。
「長く営業の世界にいたから、売りに入ったらアカンというのが染みついているんです。何でもそうですが、買ってくれというオーラを出したら、モノというのは売れない。ただ、買ってくれた時に交わすちょっとした会話だけは大事にしています。目についたお客さんの持ち物を綺麗ですねって言葉がけしたり、寒いから風邪に気をつけてくださいねと一言添えたり。やっぱり商売といっても、単に物の交換だけでは寂しすぎますから」
和歌山の出身で、不動産関係の会社で営業マンとして活躍。一度は結婚生活も経験し、不自由のない暮らしを送っていたが、転機は46歳の時。高齢だった父が倒れたのを機に会社を辞め、実家で介護を始めると、生活は一変した。父の亡きあとも、寝たきりの母を看ること8年。トータル10年の介護生活を終え、ようやく仕事に復帰するも勤めた会社がほどなくして倒産、なすすべなく路上に転落した。
「いわゆる介護離職が引き金ではあったけど、入居できる施設もなければ看る親族もいない田舎の両親を放ってはおけなかった。今でも仕事を辞める以外の選択肢はなかったと思っています」
ビッグイシューに来る前は他の支援団体のお世話にもなっていたが、雑誌販売で生計を立てるこの仕事は決して楽ではない。現在は低家賃のステップハウスで寝泊まりしているが、生活を維持するためには1日だって休めないという。
「毎日5時起きで、今まで6時に家を出なかったことは1日もないんです。正直、不動産営業の仕事をしていた時よりも大変だし、精神的にもつらいけど、テンションが下がれば表情にも出て、売れるものも売れなくなるしね。苦しい世界ですよ」と漏らす。
また、この冬は大寒波と強風の影響で、売り上げもガクンと落ちた。が、春からはまた販売冊数を増やして、なんとか2年以内には社会復帰を果たしたいと思っている。
「両親を看取った後、何かの役に立てばと第2種運転免許の資格をとっていたので、貯金ができたら、タクシー会社などで使ってもらえないかなと考えているんです。で、65歳になれば年金がもらえるので、どうにかあと5年、いろいろあった人生だけど、もうひと踏ん張りしてこの苦境を凌いでいきたいと思っています」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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