販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
『ビッグイシュー台湾版』 販売者 張月美さん
これまでの人生で受け取った愛情と優しさ 今度は私がお返しする番。 自分と同じ境遇の障害者を支援したい
台湾北西部に位置する桃園市、国立中央大学前で車椅子に座りながらビッグイシューを販売する女性がいる。昼休みとなった大学の裏門からは、傘をさした学生や講師が次々と現れた。毎週木曜日の正午は、張月美さんがこの場所にストリート誌『ビッグイシュー台湾版』を売りに来ることができる唯一の時間だ。
「それ以外の日は宝くじを売ったり、ボランティアをしたりしています」。張さんは子どもの頃から歩行障害があるため車椅子生活が基本で、街へ出るにはバイクを使う。この日は小雨が降る中、雑誌が濡れないように大きなパラソルを立てていた。
2年ほど前、張さんは台北の地下鉄の駅で『ビッグイシュー』を購入した。その後事務局に自ら連絡し、間もなく販売者としての生活をスタートさせた。「毎月末にバイクで台北まで仕入れに行きます。行き来する時間を節約するため、いつも一度にどっさり仕入れるんです」
幼少時代から大人になるまで、張さんの人生にはたくさんの苦楽があった。彼女は話す前にちょっと座り直すと、「私は(台湾中西部にある)鹿港で生まれました。父は建設作業員でした」と語り始めた。
「5歳の時、父は仕事中に事故で最上階から転落してしまい、数年間、下半身不随で寝たきりになりました。私は学校に行ったことがありません。父と妹の面倒を見ながら、近所の家で家政婦として働いていました。その時は歩くのに松葉杖が必要だったので、できる仕事や移動距離に限界があったんです。14歳からは、近くの電子機器の工場で電球にフィラメントを取りつける仕事に就きました。2年後には工場長の信頼を得られて、組み立てラインの監督に昇進しました」
「当時はたくさんの人が私に結婚相手を見つけようとしてくれました。若い頃は今よりもほっそりしていたんです! 私は脚が変わった形をしていたけれど、要領がよくてチャーミングだったんです。結婚して子どもが2人生まれましたが、夫はがんで亡くなってしまい、私一人で子どもを養う必要がありました。なので、いつもがむしゃらに働いていましたね。朝食の食堂を開いたり、カラオケ店を経営したり、ラジオ局のアナウンサーもしていました。 局の上司に仕事ぶりを認められ、台北市局に異動となりましたが、その間も子どもたちの世話をしながら、高齢の両親の面倒を見るために桃園にも帰るという生活を送っていました」
子どもたちは今では自分の家庭をもち、母親の手を離れた。張さんの父は88歳で他界し、母もその後に亡くなったという。「ですから私の人生の務めはほぼ終わったんです。これまでたくさんの恩人たちが私を助けてくれたので、今度は私が誰かを精いっぱい手伝って、私が受け取った愛情と優しさをお返ししたいんです」
そんな思いから、張さんは身体障害者協会でボランティアを始め、自分と同じように障害をもった人たちに恩を返すことにした。「協会では障害者の方の補助金申請や書類記入を手伝っています。時には、自分の貯蓄から金銭的な支援をすることもあります。ビッグイシューを買ってくれている方々のおかげで、少しばかりの貯金ができているんですよ」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている BIG ISSUE
344 号(2018/10/01発売) SOLD OUT
特集誰もがパーソナリティ ネットラジオ「ゆめのたね放送局」
15周年スペシャルインタビュー:羽生 善治
リレーインタビュー 私の分岐点:末井 昭さん