販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
ヤマノベさん
「嘘をつかなくていいから、気持ちが楽」人と話すのが好き。自分の足跡を残せたら
「ビッグイシューは嘘つかなくていいから気持ちが楽です」と話すのは、JR中野駅南口でビッグイシューを販売するヤマノベさん(53歳)。
「住所も携帯電話もないから、アルバイトの面接に行く時も、履歴書から嘘をつかないといけない。それだと続かないんですよ」
販売者として登録したのは、2年前のこと。ビッグイシューのことは知っていたものの「どうせ売れるわけがないだろう」と思っていた。
「だけど、その日は九段下にいた販売者になんとなく話しかけちゃったんだよね」
翌日、事務所を訪れて面接。「携帯はないんだけど」と言うヤマノベさんに、スタッフがテレホンカードをくれた。「そんな会社があるのかって、びっくりしちゃった(笑)」
研修を終えて最初の売り場は地下鉄神保町駅前だった。常連のお客さんが多い場所で、まだ慣れないヤマノベさんに、「赤いベストを着たほうが目立つよ」「前にいたお兄ちゃんは声を出していたよ」と、いろいろなアドバイスをくれたという。
体調を崩したのは、販売冊数も増えて仕事におもしろさを感じていた矢先だった。「急に左半身が動かなくなって、救急車で運ばれたんです。それが2回続いて、施設に入って通院することになりました」
検査の結果、病名はわかったが、手術ができないため気を付けながら生活していくしかない。通院中は早くビッグイシューの仕事に戻りたくて、イベントの応援にかけつけたこともあったという。
「客商売をしていた時期もあったし、人と話すのが好きなんです。人恋しいんですよね。公園にいた時は3日も4日も人としゃべらないこともあったから。だけど、あまり親しくなるのはこわいんです」
ヤマノベさんは東北の出身。小さい頃から、板前の父親は店を渡り歩いて働いて家にはほとんど帰ってこず、母親は夜の仕事をしていた。やがて父親が身体を壊して働けなくなると、たちまち家の借金が返せなくなり、家計が苦しくなった。19歳でガソリンスタンドに就職してからは、家計のほとんどをヤマノベさんが支えていた。
「俺が働かないとしょうがなかった。妹にはそうさせたくなかったし。だけど、妹も夜中まで帰ってこないし、俺も車で寝泊りして、家族が顔を合わせることもない。何度か家出して、『もうイヤだ』と、東京に出てきたのが24か25歳の頃」
上野駅に着くとすぐ仕事の手配師に声をかけられた。用意されたアパートに入り建築現場で働き、戻ると違う現場から声がかかる。そういう時代だった。いちばん楽しかったのは接客の仕事をしていた時。ドヤやサウナに泊まって仕事を転々とする生活が20年以上続く。
ビッグイシューの販売を始めたのは、6年ほど続いた公園清掃の仕事を辞めて路上に出たあとだった。
昨年5月、1年2ヵ月休んだビッグイシューに復帰。顔なじみのお客さんに「いないな」と思われることがないよう、決まった時間にしっかり立つことを心掛けている。
この仕事はずっと続けたいと考えているが、次にいつ発作が起きるかわからない。朝起きると自分の手を握り「ああ、動いている」と確認する日々だ。「路上は身体的にはしんどい。でも、発作が起きても周りに助けを求められるから部屋に入って一人きりで倒れるよりは安心なんです」
最近は、ビッグイシュー基金が開くパソコンクラブや英語クラブにも参加している。自分のフェイスブックを始めるのが目標だ。
「最後のあがきかな……。この先、最期を路上で迎える可能性もある。そうすると、何も残らないでしょう。だから、ネットに何か残しておきたい。この取材や講演を引き受けるのもそうだけど、ホームレスだからって逃げ隠れしていたら、自分がやってきたことや、いる意味がなくなってしまう気がする。何でもいいから『こんなやつがいたな』って思われたほうがいいなって」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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