販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
スウェーデン『ファクトゥム』販売者 カルロス・ピサロ
軍事政権下、目の前で家族が射殺される 亡命、拷問、薬物依存、がん――出会った人たちが生きたいと思わせてくれた
スウェーデン第二の都市ヨーテボリのチャリティショップで「いらっしゃいませ!」と陽気な声が響きわたる。「入口の名物男」ことカルロス・ピサロは、ここで警備員の仕事をするかたわら『ファクトゥム』を販売している。今や客からも店のスタッフからも愛される存在になったピサロだが、生まれ育ったチリからスウェーデンにやって来るまで、そこには壮絶な人生があった。
ピノチェト軍事政権が始まるまで、ピサロの暮らしは平和だった。「チリでの生活は貧しかったけど、幼い僕にとっては楽しかった。市場のサラミをかっぱらって母からゲンコツを食らったのだって、いい思い出です」と笑顔で話す。しかし、1973年を境にピサロの人生は一変した。秘密警察が彼の家族を皆殺しにしたのだ。彼が19歳の時だった。「ずっと左派系の新聞を売っていたから、奴らは僕に目をつけていた。軍は、共産主義者や社会主義者の人間狩りをしていたんだ」
ピサロは、両親と兄弟3人が目の前で射殺された時のことを静かに語った。「一番ひどかったのは、母が撃たれた時。母は僕を見て『あなたが一家で最後の一人よ。だから生き残るために(自分の主義主張について)余計なことを言ってはだめ』と言ったので、僕は(わざと)とっさにこう叫んだ。『共産主義者はこのザマだ!』と。すると周りの人たちが拍手し始めたんだ。母の言葉を聞いて、僕を助けてくれようとしたんだと思う。とにかく、どんな方法を使ってでも生きのびなきゃならなかった」
その後アルゼンチンに亡命したが、ここでも共産主義者狩りが行われていて、身を隠すのに精いっぱいだった。チリでの体験がトラウマとなり、薬物に頼る日々。その間に結婚もしたが、ついに警察に見つかり、6ヵ月間投獄された。「出所した時の僕はもうボロボロで人間じゃないみたいだった。そこは拷問のための監獄だったんだ。でも拷問は死なないように医者が付いて行われた。あそこはもう……」。当時の最も過酷な経験を語る時、ピサロの声はくぐもり、涙がこぼれた。
彼と妻をスウェーデンへ渡らせてくれたのは、国際人権擁護団体のおかげだった。だが、子どもが生まれてから二人の仲はだんだんと変化し、やがてピサロはひとりで別の都市へ移り住むこととなる。ヨーテボリでは路上生活を経験し、薬物の販売もしていたが、そのうちに『ファクトゥム』を知り、販売者となって現在8年が経つ。「『ファクトゥム』を買ってくれる人たちのうれしそうな顔は、純粋な喜びそのものだよ。薬物依存者の顔にはないものだ」と言う。
ピサロは、がんという病さえも生きのびた。当時は治療をするか迷っていたが、長年会っていなかった息子との偶然の再会と『ファクトゥム』のおかげで決心ができたという。「『ファクトゥム』がなかったら、今ごろ生きてここにはいないと思う。この雑誌をきっかけに出会った人たちが、生きたいと思わせてくれた。暗い過去を封印して、僕はここで人とつながっている感覚を取り戻せたんだ。がんは克服できたし、髪も元通りになった。販売者のバッジがあるから、これ以上何もいらないよ」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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