販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
西岡稔さん
お客さんには感謝の言葉しかない。アニマルセラピーカフェを開くのが夢
誰もが黙々と先を急ぐ朝の通勤時間。立ち止まるのもはばかられる殺伐とした空気の中で、西岡稔さんはためらうことなく声を上げる。「おはようございます、おはようございます……」。無言の人波に向けて繰り返し放たれる挨拶は、どこか優しげで、まるで一人ひとりに語りかけているかのよう。時折、声につられて小さく挨拶を返す人もいるが、たいていはチラッと視線を向けるか、気にも留めずに足早に通り過ぎていく。
「特に目立った売り方をしているとは思わないんです。目の前を通る人はすべてお客さんですから。子どもの頃から人には挨拶しなさいと言われて育ったので、僕には普通のこと。無視されても、気にはならないです」
場所は大阪・梅田のど真ん中、スカイビルへと向かう地下連絡通路の入り口。今年1月末から販売者となり、この売り場に立っている。357号(4月15日発売)の投稿欄には西岡さんの販売姿に感銘を受けた読者の声も掲載されたが、雑誌が売れると、サッと帽子をとり、90度のお辞儀ではつらつとお礼を述べる姿は、さわやかな高校球児をほうふつさせる。
どんな人生を送ってきた人なのか。取材を始めると、話題はなぜか北海道の牧場へと飛んだ。「ジョッキーになりたかったんです」と西岡さんは言う。中学の時に競馬の魅力にハマり、大阪の高校を1ヵ月で辞めると、16歳で単身、北海道へ。最初は工場で働いたが、やっぱり馬の仕事がやりたいと観光牧場に移り、さらに知人の紹介で勤めた競走馬の育成場では草競馬の騎手として道内を転戦したこともあるという。「短い期間でしたけど、おもしろい仕事でしたね」
夢の時間に終止符が打たれたのは、20代半ばの時だ。父親が脳梗塞で倒れたのをきっかけに帰阪。しばらくは神戸の舗装会社で安定した職に就いていたが、3年目の時に阪神・淡路大震災で会社が操業停止に陥った。その後は大阪の植木屋や園田競馬場でのアルバイトなどを経て、30代前半頃から建設現場の日雇いや派遣仕事に従事するようになった。最初に路上生活を経験したのもその頃だという。自立支援センターに入所していた時には、ヘルパー2級の資格を取得。介護職も2度経験した。好きな仕事だったが、職場の人間関係でうまくいかなかった。
「39歳の時には解体現場で落下して、4日間意識不明で生死をさまよったり、路上生活では結核にかかって生活保護を受けたり、いろいろありました。もう土方仕事や介護職での人間関係には疲れました。ビッグイシューは手っ取り早く現金が入るということで始めたけど、おかげで今はちゃんと食事も摂れていて、お客さんには感謝の言葉しかないですね」
販売時間は午前7時から午後3時頃。ただ、毎朝6時には売り場に来て、長い地下通路から近くの信号までの一帯を清掃しているという。「せめてお客さんの通る道はきれいにしておきたくて……」。そう言う西岡さんのリュックには、ホウキとチリトリが顔をのぞかせていた。
また、愛用のノートには、さまざまな本から学んだ信条や行動指針となる言葉がびっしりと書き込まれていた。今年から書き始めたノートは、すでに3冊目になるという。「自分は思っていても実行できないことが多いから、いつもシェルター(※1)に泊まっている時に勉強しているんです」
その中には、自らの目標も明確に記されていた。「あまりおこがましいことは言えないけど、とりあえずはステップハウス(※2)に入って、上級心理カウンセラーの資格を取りたい。で、将来は馬などの動物で人を癒やすアニマルセラピーカフェをするのが僕の夢。いつになるかはわからないけど、念ずれば花開くと思いたい」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている BIG ISSUE
362 号(2019/07/01発売) SOLD OUT
特集民主主義を見捨てない――宇野重規ゲスト編集長
スペシャルインタビュー:チ・チャンウク
リレーインタビュー 私の分岐点:玉木 幸則さん