販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
セルビア『リツェウリツェ』販売者 ヨワンカ・オブラドヴィツェ
自分の境遇に似ていた“販売者の再起の物語” 働くために生き、生きるために働く
セルビアのストリートペーパー『リツェウリツェ』のことは、ちょうどお金に困っている時に偶然知りました。事務所に行くと1冊雑誌を手渡してくれたんですが、ある記事に目が留まりました。それはかつてホームレス状態だった人たちの再起の物語で、まるで私自身の境遇と似ていたのです。そして言ったんです。「ここで働きたい」って。1日目に10冊売れて、次の日は20冊。こうして、私の販売者としての日々は昨年の9月に始まりました。
私は今、3種類の薬を飲まないといけません。そのためのお金はいつも先に取っておきます。時に雑誌を買うお客さんが2倍の金額を払って、おつりを受け取らないことがあるのですが、そうされると胸が痛みます。というのも、私は貧しくはあるけれど、物乞いではないからです。
身の上話になりますが、セルビアのある村で生まれた私は、高校卒業後、法律を学ぶために大学に入学しました。しかし、卒業するためにはあと二つ試験を受けねばならず、修了できませんでした。それからずっと仕事をしてきましたが、食肉業界に携わっていた時はよく稼ぐことができました。でも1990年代になると経営が怪しくなり、99年のセルビア空爆(※)でその会社は潰れてしまいました。
6年前、交通事故に遭った経験は今でもトラウマになっています。その後、路上で強盗に襲われたり、仕事中に怪我をしたりとさらなる不運が続き、私は6ヵ月間病気療養するに至りました。当時の雇い主は雇用契約を延ばしてくれましたが、契約終了とともに私は無職になりました。以前はよく人が「貯金は、使い始めたらすぐなくなるよ」と話していたのを不思議な気持ちで聞いていましたが、身をもってそれが本当だと知りましたね。そしてちょうど貯金を使い果たした時に出合ったのが『リツェウリツェ』でした。 路上生活に陥っている我が身を思うと「大学を卒業さえしていれば」と考えることもあります。働いていた時には昇進の話もありましたが、私には務まらない気がして断ってしまいました。そんな自分を、まだ許せないままでいます。「金の切れ目が縁の切れ目」とはよく言ったもので、お金が尽きると、友人だと思っていた人は一人またひとりと去っていきました。
そうして一つの結論に達しました。私にとって大事なのは、働くために生き、生きるために働くこと。一つ終わったらまた次の困難が訪れますが、前進あるのみです。それに、よりよい日を家で待ち続けるよりも、働いている方が前向きになれるのです。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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