販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
アルゼンチン『エチョ・エン・ブエノスアイレス』販売者 ヨルグ・ガジーバ
雑誌販売を続けることは、確かな礎を築くこと。
今では自分の食べるものを選ぶことができる
ヨルグ・ガジーバこと〝エル・コロ〟は大学3年生の時、病によって学業を断念せざるをえなかった。「ものが二重に見えるんだ」と、分厚い眼鏡の奥で彼の目が曇る。緑内障により、ガジーバは建築学科の学問から離れるしかなかったのだ。以来、眼圧を下げるための目薬が欠かせない。
それからは首都ブエノスアイレスの南に位置する都市ラヌースで、フォークリフトを操る仕事に就いていた。だがその会社が1997年にアルゼンチンを去ってからは、路上生活を余儀なくされた。「もし彼らに、従業員の生活を保障するという考えがあったなら、僕が路上生活に陥ることはなかっただろう」とガジーバは嘆く。
しかし「路上生活は、僕の人格に影響を与えなかった」と彼は言う。自分はいつも同じ人格を保っていた、と。一方でホームレス状態はもう「過去のこと」で、「二度と戻りたくない」とも言う。『エチョ・エン・ブエノスアイレス(略称 HBA)』誌のスタッフ、パトリシア・マーキンが声をかけなければ、3年間の路上生活はいまだに続いていただろう。
『HBA』の創設者でもあるマーキンは、昨年亡くなった。「何度も言ってきたことだけど、パトリシアには感謝しきれないね。僕に仕事をくれた真の友。そうして僕は路上を脱することができた。彼女が僕の人生にいてくれたことを、いつもありがたく思っている」とガジーバは話す。
彼は何度も、この雑誌が自身の生活の質を高めてくれたと繰り返す。「今では僕は自分の食べるものを選ぶことができるんだから」。そして、雑誌の社会的な役割の重要性を説き、食べるものを選べなかった日のこと、食べるために列に並ばなければならなかった日々のことを思い出しては今と比較する。
15年間、一人でブエノスアイレスに暮らしていたガジーバ。家族はいない。結婚もしなかった。でも「今は、食卓に食べ物がある。それがうれしい」と語る。
趣味の絵を描くことも楽しんでいる。「僕の作品はオリジナル。誰の真似でもないんだ」と言うが、本当は『HBA』主宰のアートクラスの先生、アメリコの影響を多分に受けている。「実はクラスに行くまで、鉛筆の握り方も知らなかったよ」。最近では、ユダヤ教のシナゴーグを描いた作品『礼拝堂』が売れた。
創刊年の2000年から販売者となって20年、ガジーバは祖父の教えを心に留めてきたそうだ。「未来はどうなるかわからないもの。だから砂上の楼閣にならぬよう、確かな礎を築くべし」。彼にとっての〝確かな礎〟とは「『HBA』誌の販売を続けること」だと言う。「それだけは、どんなことがあっても辞めることはないと思います」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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