販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
セルビア『リツェウリツェ』販売者 アンドレヤ・ムラデノビッチ
社交的ではなかったが、雑誌販売で変わった
内戦、がん、妹の死を乗り越え、「好奇心が僕を前進させる」
セルビアで初めて路上生活に陥った時、身の振り方を考えるのに苦労したとアンドレヤ・ムラデノビッチは語る。もともと国をあてにはしていなかったが、どの機関も助けの手を差し伸べてくれなかったのには驚いたという。「どの戸を叩いても扉は開かれず、ただ『自分でなんとかしてくれ』と繰り返すばかり。でも、無一文でどうやってなんとかすればいいんだい?」
同国のストリート誌『リツェウリツェ』を知ったのは、そんな時のことだった。同誌の販売に携わることで、簡易宿泊所に泊まるためのお金を稼ぐことができた。当初はそれほど販売に積極的ではなかったが、販売場所に立つほど売り上げも伸びることを知ってからは、より真剣に仕事と向き合うようになった。
「昔はまったく社交的じゃなかったけど、この仕事を始めてからはいろんな人と話ができるようになった。うれしいことだね。今は依存症を治すために精神科医のもとに通ってもいるけど、依存症から立ち直るには薬よりも人との会話が効きそうだよ」
そう言って、ムラデノビッチは幼少期のことを語り始めた。母は小さい時に家を出ていき、残された彼と妹は父親に育てられた。「90年代に青春時代を過ごしたからね。いい時代だったよ、いい音楽に、いい映画……。でも、(ユーゴスラビア)内戦の時代でもあった。一気に不景気になり、多くの人たちが国を離れた。僕もそうだ。英国で2年住んだ後、ドイツに渡ったんだ」
セルビアの首都ベオグラードの芸術学校を卒業した彼は、グラフィックデザインや絵を描く仕事に就き、ユーゴスラビア内戦中は国外に活路を求めた。「でも、どこへ行っても2級市民扱いされたね。結局居場所はセルビアにしかないと悟ったよ。ひどい国だけど、ここが僕の故郷なんだ」
『リツェウリツェ』の販売を始めた頃は、さらなる不運に見舞われた。がんが見つかったのだ。「背中が急に痛くなってね。医者に診てもらうとがんを告知された。『ついに死ぬんだ!』と思ったね。40歳の時だよ」
妹の死も追い打ちをかけた。「それでまた酒を飲み始めたんだ。気を紛らわせる助けにはならなかったけれど」。だがその後、奇跡的にがんは治癒し、医者も驚いていたという。
もう15年ほど絵筆を握っていないというムラデノビッチ。「インスピレーションが必要なんだ。今は、イーゼルや筆を買うお金もない」と話す。
それでも気持ちは楽観的だ。「もうすぐ公的扶助の申請が通るところなんだ。無事受け取れたら、姪に会ってどうしているか知りたいね。最近の映画も気になる。好奇心が僕を前進させるんだよ。明日はどんなことが起こるんだろうって考えると、わくわくする」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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