販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
オーストリア・ザルツブルク『アプロポ』販売者 フライデー・アクパン
その日その日を一所懸命に生きていれば
ある日「こんなに遠くまで来ることができた」と言える
フライデー・アクパンと初めて会ったのは、偶然にも金曜日のこと。場所はモーツァルトの生誕地、ゲトライデガッセだった。多くの人が行き交う通りで、アクパンは『アプロポ』誌の販売に勤しんでいる。「一番よく売れるのは夏で、一日20冊くらい。お客さんとはドイツ語で話すよ」。そう語る彼はナイジェリアからの難民で、イタリアを経て2014年9月15日にオーストリアに到着した。
「初めてアプロポを販売したのは15年だね。その日のことはよく覚えている」。どうやって生計を立てていこうか思案していた矢先に得た、雑誌販売の仕事。ほどなくして、難民申請も受理されることとなった。
かつては1399年創業の老舗ホテル・シュタインにほど近い場所で、お客さんと楽しげに言葉を交わしながら販売していたアクパン。その働きぶりが従業員の目に留まり、18年2月から1年半ほどこのホテルで職を得たこともあった。
「もともとアフリカ系のアプロポ販売者はいなかったけど、今では何人かいるよ」と語る彼は、同僚とともにザルツブルク南部に家を借りることもできた。「彼らとはサッカーの試合を通じて知り合ったんだ」。その時獲った金メダルは、誇らしげに居間に飾られている。「数が足りないからって頼まれて〝ガンビア代表〟として試合に出たんだけどね」と笑う。
もう一つザルツブルクで得た人とのつながりが、キリスト教会だ。ザルツブルクで暮らし始めた当初、この教会が支援してくれた。アクパンは神さまが自分を助けてくれたと心から信じている。
今ではオーストリアのパスポートを取得し、世界中どこへでも旅立てる。唯一の例外が、母国ナイジェリアとの行き来だ。故郷には両親と2人の兄弟トニとバッシ、そして14歳の息子がいる。下の息子と妻はフランスのリヨンにおり、雑誌販売で貯めた200ユーロ(約2万8千円)をクリスマスに送った。
「アフリカ文化には、こんな哲学が脈々と流れている。人にやさしくすれば、必ずいつかその人たちもやさしく接してくれるってね」。その人懐っこさと、ためらわずに人を助ける性格によって、難民申請に立ちはだかった数々のハードルを乗り越えてきたアクパン。オーストリアに流れ着いてから多くの人が彼の良さを見いだし、さまざまな形で推薦してくれたことで前に進むことができた。
現在33歳。「下の息子が大きくなるまで、僕にできることをしていくまでだ」と語る。「その日その日を一所懸命に生きてきた。そうやってここまでたどり着いたんだ。これからもそうやって生きていく。ある日ふと気づいて『こんなに遠くまで来ることができた』って言えるまで」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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特集ぷらす“数学”
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